全日本の観光地へ
公開:6:00〜17:00 休業:無休
天王山麓に位置し、現世利益の「山崎の聖天さん」として京阪神の人々から厚い信仰を受けているお寺です。。
井手と縁の深い小野小町など「三十六歌仙」の多くが「カワズ」を詠んでいる。井手の「カワズ」は殊の外美しい声で鳴くと讃えられ、南禅寺の庭園に放されたとある。蛙塚は今も水が湧き、玉ノ井泉と呼ばれていた場所にある。
公開:9:00〜16:00
高雄山中腹にある真言宗の古刹。金堂・唐門・和気清麻呂公霊廟など堂宇がたつ。国宝の薬師如来像をはじめ平安、鎌倉時代の仏像、絵画などが多く残る。梵鐘(国宝)は日本三大名鐘の一つ。境内と周辺は紅葉の名所。
公開日:10:30〜15:0026年9月27・28日、10月25・26日、11月22・23日 その他:[観月の夕べ]9月8日(月)18:30〜
慶応年間(1596年〜1610年)に正法寺の志水亀女が徳川家康の側室になり、尾張徳川家の祖となる義直を生んだ。正法寺は以来、江戸時代を通して尾張徳川家の厚い庇護を受けた。「絹本著色釈迦如来像」など重文多数。
リンゴ園10,000平方m、多目的広場10,000平方m、テニスコート(4面)・キャンプ場(100人)・宿泊(60名)・遊歩道・体験実習館・(陶芸窯)・魚のつかみ捕り
色とりどりの小石が並ぶ浜。
宮津城下町の歴史は、天正8年(1580)、丹後に入国した細川藤孝(幽斉)・忠興親子による宮津浜手(現鶴賀)への宮津城築城と城下の建設に始まります。しかしこの城と城下は、慶長5年(1600)の関ヶ原合戦の際、忠興の留守を守る幽斉みずからの手により焼き払われます。現在に続く城下町は、江戸時代のはじめの宮津藩主、京極高広の代に建設・整備されたものです。高広は焼け落ちた宮津城や大手川対岸の城下の再建に着手します。この高広による城と城下の普請は、元和8年(1622)から寛永13年(1636)頃のことと考えられています。金屋谷・小川地区の「寺町」も、この高広の城下町建設に合わせて整備されたもので、現在ある12の寺院のうち、ほとんどが高広の代に京極家やその一族の菩提を弔うために創建、あるいは他地域からこの地に移転されたという伝承があります。つまり宮津の寺町は400年弱の歴史がある、城下町宮津の面影を色濃く伝える場所なのです。
木津温泉の宿周辺や俵野、日和田地区ではホタルを観賞することができ、温泉の後にゆったりと涼みながら、美しいホタルの姿を眺めることができる。周辺には観光スポットが多くあり家族で楽しめる。
ゲンジホタルの生息地である南谷川の自然環境や景観を生かした親水公園である