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東勝寺(宗吾霊堂)

宗吾霊堂は、桓武天皇の時代に征夷大将軍坂上田村麻呂が房総を平定した際に、戦没者供養のために建立された寺院です。歌舞伎で知られる義民佐倉宗吾は、今から350数年前の承応元年(1652年)に、佐倉藩主暴政のため、凶作と重税に苦しむ農民を救うため、公津村(現在の成田市)の名主の木内惣五郎は、当時禁じられていた四代将軍徳川家綱への直訴を決行し、大勢の農民を救いました。しかし翌年8月に、その罪をとがめられて、木内惣五郎と4人の子供たちは処刑されました。その刑場跡が、現在の東勝寺のある場所といわれています。

獣医学実地教育発祥地の碑

明治8年(1875年)に内務郷大久保利通が下総牧羊場を建設しました。その後、明治13年(1880年)に下総牧羊場と取香種畜場が合併して治21年(1889年)に三里塚に移りました。後に下総種畜場となり獣医学実施教育の場となりました。昭和44年(1969年)新東京国際空港を建設のため閉場されました。獣医学実地教育発祥地の碑が三里塚記念公園内にあります。

宗吾旧宅

宗吾霊堂の西2kmにある、義民宗吾の生家の屋敷がある。宗吾は承応2年(1653年)佐倉藩の暴政による領民の困窮を、直訴により救った。当時、水戸藩にいて刑を免れた惣五郎の嫁から16代木内利左衛門、現在木内家に惣五郎佩用の刀・外関係古文書が多く保存されている。

成田羊羹資料館

休館日:企画展入替日年2回 営業時間:10:00〜16:00※1月1日〜1月3日は開館時間が8:00〜18:00となります

なごみの米屋總本店敷地内にある成田羊羹資料館は、羊羹の歴史に関する資料が展示されている。羊羹の原料、明治・大正時代に使っていた羊羹作りの道具や、日本各地の羊羹も展示紹介されています。創業者の愛用品から時代背景や人柄などもうかがえるコーナーもあり、創業100年以上の様子がうかがえます。また、羊羹や和菓子の作り方がビデオで放映されています。

成田国際空港

成田国際空港は昭和53年(1978年)に開港し、日本の玄関口として、また世界とアジアを結ぶ一大拠点として規模を拡大している空港です。現在、北米、中南米、ヨ-ロッパ、アジア、オセアニア、アフリカの各大陸へ72のエアラインが就航し、世界36カ国2地域(台湾・香港)97都市、国内でも8都市とのネットワークが結ばれています。ますます増加するお客様へより便利で快適な空間を提供するため、店舗及び施設展開を積極的に図ることによって、旅行客だけなく見学者にも楽しめる空港となっています。

龍正院仁王門

龍正院滑河観音は、本尊は十一面観世音菩薩です。龍正院は、坂東33ケ所観音霊場の第28番札所の天台宗の寺院です。仁王門は室町時代末期の建物で国指定重要文化財に大正5年に指定されました。

成田山新勝寺仁王門

天保2年(1831年)再建。左右には密迹金剛・那羅延金剛、裏仏には広目天・多聞天が奉安され、境内入口にあって伽藍守護の役目をしております。門に隣接して仁王池(放生池)があり、生きものの生命をいとおしむ「不殺生」を教えています。

成田山新勝寺釈迦堂

安政5年(1858年)建立。前本堂。釈迦如来・普賢・文殊・弥勒・千手観音の四菩薩を奉安。堂の周囲には五百羅漢や二十四孝の彫刻がはめこまれ、江戸時代後期の特色をよく残している総欅作りの御堂です。厄除けお祓い祈祷所

成田山新勝寺三重塔

正徳2年(1712年)建立。塔内には五智如来を奉納し、周囲には「十六羅漢」の彫刻がめぐらされた塔です。又、雲水紋の彫刻をほどこした各層の垂木は1枚板でつくられた珍しいものです。総高25m

成田山新勝寺光明堂

元禄14年(1701年)建立。旧本堂。本尊として真言密教の教主である大日如来が奉安されております。総高約15m。江戸時代中期における貴重な建物です。星まつり御礼受場。後方には、奥之院の洞窟があり、毎年祇園会に開扉されます。又、前庭にて毎年5月成田山薪能が実演されます。

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