観光地検索

全日本の観光地へ

1244 件の 11 ページ目 (0.001 秒)

かもきみの湯

営業:10:00〜23:00

檜を使った露天風呂、岩風呂、サウナ、泡風呂などの入浴施設の充実はもちろん、トレーニングルームにも使用できる多目的ルーム、大小の会議を行うことができる会議室も完備しています。

東院庭園

開園時間:9:00〜16:30入園は16:00まで 休園日:月祝日の場合はその翌日。年末年始、その他特別の場合。 その他:平成22年11月7日までは無休

称徳天皇の時代に宴会や儀式を催した庭園を復原し公開している。

たかすみ温泉

営業時間:日月火水金土11:00〜21:0012/1〜3/15は11:00〜20:00たかすみ文庫はPM5時までとなります。 休業日:木定休日が祝日にあたる場合は営業し翌日が休みになります。1

木の香りがすがすがしい贅沢なマキ風呂・ヒノキ風呂。大自然を満喫できる露天の岩風呂で、心も体もリラックス。日帰り入浴。

やはた温泉

定休日:火定休日が祝日にあたる場合は営業し翌日が休みになります。12/29〜1/1は休みです。 営業時間:日月水木金土11:00〜21:0012/1〜3/15は11:00〜20:00

御影石の色彩鮮やかな岩風呂と贅沢な古代ひのき風呂で日ごろの疲れを癒してくれます。

東吉野キャンプ場

開設:通年

丹生川上神社の近く、高見川、四郷川そして日裏川との出合にあるキャンプ場。昭和38年頃のオープンで、教育の場としての利用が大半を占めている。村内には天誅組史跡をはじめ名勝・史跡も多く、川遊びや渓流釣りも楽しめる。

ニホンオオカミの像

東吉野村で捕られた(1950年1月)日本最後のニホンオオカミをモデルにした等身大のブロンズ像。

石鼎庵

原石鼎、本名(かなえ)は明治19年(1886年)島根県簸川郡(ひかわぐん)現在の出雲市に生まれた。原家は代々医者の家系で、父も兄も開業医という環境の中で育つ。15歳で松江の新聞「山陰新報」に入選。このころより短歌、俳句をつくるようになる。本人は美術か文学の道を志望したが、父兄に反対され京都医専に入学。しかし、2年で中退し、文学や絵の修行の果てに当時奈良連隊軍医の次兄のもとに身を寄せた。その兄と共に小(おむら)の出張所で医療を手伝いながら、短歌や俳句を作っていた。石鼎26歳の時である。その後1年余りの間、石鼎は朝早くから夜おそくまで兄の代診をし、就寝前になってやっと句や歌の創作に励むという生活。その間はわずかの休診、余暇を使って吉野一帯から宇陀までも足をのばし深吉野(みよしの)の大自然と山人の情にふれ、数多くの優れた名吟を詠いあげた。高浜虚子が「石鼎君を思ふとすぐ吉野山時代を思ひ出す。それが石鼎君の最も優れた作品ばかりでなく俳句の歴史、少なくとも私等の俳句の歴史に於いて輝いた時代を形づくったものとして尚私の記憶がある」「石鼎句集」の序文に絶賛する言葉を添えた。1915年、小を後にした石鼎は上京して虚子主宰の「ホトトギス」に入ったが21年石鼎は35歳の時、「鹿火屋(かびや)」を発行・主宰。それからも「花影」「石鼎句集」を出版し作品を作り続けた。昭和26年、石鼎は多発性リュウマチ炎に狭心症を併発。臨終の際「私の骨を深吉野へ」の言葉を残し、65歳でこの世を去った。当時の暮らしぶりを思い起こさせる部屋やたたずまい、また在りし日の写真が展示されておりその俳句三昧の日々が偲ばれます。

天誅組吉村寅太郎の墓

東吉野村役場の北東2km,鷲家川沿いの杉木立の中に天誅組の総裁だった吉村寅太郎の墓がある。文久3年(1863)討幕の兵を挙げた30名は五条代官所を襲うが,1カ月余の転戦の後,この付近でほとんど討死する。それから3年余の後に大政奉還。わずかばかりに早すぎた蜂起なのであった。役場付近にも12基の志士の墓がある。天誅組終焉の地。

小川氏墓所

鎌倉時代から天正15年頃まで、この地方の豪族だった小川氏の墓。十三重の石塔二基、五輪塔五基が残されており、いずれも鎌倉時代末期から南北朝時代のものである。小川氏の中でも、小川弘光は長禄2年(1458)後南朝の勢力によって奪われた三種の神器の一つである神璽を奪還し、北朝へ返還した神璽奪還事件に活躍した人物です。

宝蔵寺

シダレザクラが有名で、能村登四郎が「霊地にて天降るしだれざくらかな」とよんだ句碑がある。木津での、天誅組義士の菩提寺となっている。

旅行情報