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大和平群温泉

「かんぽの宿大和平群」内にある天然温泉。日帰り入浴に食事の付いたプランもある。

平群町自然休養村センター

千光寺に隣接して整備されたS休憩・宿泊施設。鳴川川の渓流沿いで鳴川峠を越える街道にも接し、生駒山系の散策拠点にもなる。修験道の体験ができ、寺院関係者による家庭的なサービスが自慢。

大本山千手院

山内では最古の由緒あるお寺で信貴山寺を代表する住職の自坊(住む所)とされておりました。千手院護摩堂は、約1千年前命蓮上人が開壇され、以来毎朝日護摩を焚いて皆様の心願を祈願しています。

御櫛神社

大字椹原の氏神で「延喜式」記載の式内社。祭神は天児屋根命(アメノコヤネノミコト)であるが、本来は豊玉比め(トヨタマヒメ・日本惣国風土記)、玉櫛姫(タマクシヒメ・特選神名帳)等の地域色の強い神を祀っていたとみられ、谷筋の奥に立地するところから農業用水を守る神と考えられる。

消渇神社

室町時代に信海という旅の僧がこの北西の霊場「井戸の上」で修行中に病気になり、川岸の土でお団子を作って一心にお祈りをしたところ観音様が現れて病気を平癒する。その観音様の希望を受け入れて村人が現在地に祭り、「正勝(マサカツ)」の神として信仰される。土団子を12個作って祈願すると腰から下の病気に効果があるとされる。のちに、その音読みで「消渇(ショウカチ)」となり、江戸時代には「下の病気」に効くのが転化して女性の下の病気(女性病や淋病など)にご利益があるとして厚い信仰を受けている。

石床神社旧社地

竜田川の支流井文字川を見下ろす崖面に露頭した高さ約8m、幅約20数mの巨大な[磐座][陰石]をご神体としている。貞観元年(859年)正月に従5位上を授けられ、平安時代の「延喜式神名帳」には“平群石床神社大.月次新嘗.”との記載がある。祭神は剣刃石床別命(ケンジンイワトコワケノミコト)。本殿や拝殿は当初からなく、磐座を遥拝する古い形態を伝えている。ご神体と同じ石材(片麻状黒雲母花崗岩)が柿塚、烏土塚、西宮の各古墳の横穴式石室に使用されている。

元山上千光寺

真言宗醍醐派。役行者が若い頃に修行し、後に大峰山山上ヶ岳の行場を開いたことから「元山上」と呼ばれる。役行者の母も当地で修行したことから、女人山上として女性にも開放されている。本尊は行者の感得した千手観音、開山堂には町指定の文化財である役行者・前鬼・後鬼像が祀られている。4月に戸開け式、10月に戸締め式が行われる。その間境内の行場巡りや修行体験ができる。

信貴山朝護孫子寺

公開:4月〜9月8:30〜17:30 公開:10月〜3月9:00〜17:00

霊峰信貴山の信仰から起こったと考えられる寺院。信貴山は古来「信じるべき、貴ぶべき山」とされ、聖徳太子が物部守屋征伐の時に戦勝を祈願し、日本で最初に毘沙門天を感得した聖地である。その後、平安時代に命蓮上人が中興、今日の基礎を築く。その事績は国宝「信貴山縁起絵巻」3巻に描かれ、卓越した霊力が伝えられている。境内に開山堂と墓所があり、墓は町指定文化財である。楠木正成も信貴山の申し子といわれ、幼名多聞丸といい、後醍醐天皇決起の時には信貴山に旗などを奉納(「菊水旌旗」は町指定文化財)している。その後も寄進したとみえ、菊水の甲や武具類が霊宝館に保管され、他の寺宝とともにその一部が県指定文化財となっている。また、境内には十三仏や十三重石塔などの石造文化財もあり、一部が町指定になっている。信貴山寺の正式名は信貴山朝護孫子寺歓喜院で現在、塔頭に玉蔵院・成福院・千手院がある。霊宝館には毎秋国宝縁起絵巻が里帰りするほか、多くの国・県指定文化財が収納展示されている。

金勝寺

真言宗室生寺派。竜田川の龍穴に棲む竜神が出迎え、行基菩薩が開基。本尊は薬師如来坐像。本堂の左手に鎌倉〜江戸期の磨崖仏石仏群や行基菩薩供養塔とされる大型五輪塔がある。東寺領平野殿庄の中心寺院として東寺百合文書にみえ、曽歩々々氏や嶋氏とも関係が深かった。水子供養のお堂もある。

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