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龍泉寺

鷲家、伊豆尾で討たれた天誅組義士の菩提寺となっている。

天照寺薬師堂

釘を一本も使わない合掌づくりの建物。内部は能舞台式で本尊薬師如来像を安置する。

神武聖蹟「丹生川上」

神武天皇の丹生川上での御親祭。昭和15年文部省による神武聖蹟調査の第1回目の決定があり「丹生川上の地」は小川村(現東吉野村)丹生川上神社付近であると発表された。日本書紀によると、戊午の年9月、神武天皇は、大和平定のため夢にあらわれた天神の教えのとおり、天香具山の社の中の土を取って平瓮と厳瓮(御神酒を入れる瓮)をつくり、丹生の川上に上って天神地祇を祀られた。神意を占って、「厳瓮を丹生川にしずめよう。もし魚が大小となく全部酔って流れるのが真木の葉の浮き流れるようであれば自分はきっとこの国を平定するだろう。」と言われて厳瓮を丹生川に沈めた。しばらくすると魚はみな浮き上がって口をパクパク開いた。椎根津彦がそのことを報告すると、天皇は大いに喜んで丹生の川上の五百箇の榊を根こぎにして諸々の神をお祀りされた。このときから祭儀のときに御神酒瓶が置かれるようになった。丹生川は現高見川で、高見・四郷・日裏の三川合流し青い水をたたえた淵は、神武天皇が厳瓮を沈めたところだと伝えられ、夢淵と呼ばれている。

小牟漏岳

古事記によると雄略天皇4年(460)、天皇が小牟漏岳で狩りをされ、御呉床に座っていると、虻が天皇の御腕を喰った。その瞬間蜻蛉(とんぼ)が飛んできて、その虻をくわえて飛び去った。天皇は、蜻蛉をほめて御歌を詠み、この地を蜻蛉野(あきづの)と名づけた。み吉の袁牟漏が嶽に猪鹿伏すと誰れそ大前に秦すやすみしし我が大君の猪鹿待つと呉床に坐し、白栲の衣手著そなふ手腓に虻かきつき、その虻を蜻蛉早咋ひかくの如名に負はむとそらみつ倭の國を蜻蛉島とふ、日本書紀にもこのことが記されています。小牟漏岳に続く山上に神武天皇が上小野の榛原、下小野榛原と名づけて皇祖天神を祀った「鳥見霊畤跡」があります。

鳥見霊畤

神武天皇が鳥見山に霊畤(祭場)を立てたという伝説にちなむ。県下では他3ヶ所に伝承。

投石の滝

はるか昔、綾羅錦繍をまとった天女が舞い降りて、手に捧げ持ってきた玉を滝壺に投げ、不動明に祈拝し、五色の雲に乗って天へ上がっていったという。そのころから投石の滝と名づけられたと伝えられている。高さ15mから水煙をあげて落ちるさまは、圧巻。滝のそばには、不動明神が祀られており別名「不動の滝」とも呼ばれている。

大鏡池

笹野明神の白蛇伝説があり,雨乞の信仰が伝わる。

国見山

原生林におおわれているが,山頂は平坦な草地。

薊岳

頂上付近には巨岩とシャクナゲの原生林がある。

自天親王神社

後南朝末裔自天王,忠義王の両宮を祭神とする。

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