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貝塚跡及び人骨が発見されている。
奥州藤原氏一族の居館であったが滅んだ後、葛西氏の臣族が居住。
堅穴住居群が22基発見されている。井戸・墨書土器・経塚から経筒が発見されている。
葛西氏の臣の館。悲しい「奥州迫合戦記」が言い伝えられている。
北朝年号の板碑16基が残っている。
慈覚大師開基と伝えられ、本尊「薬師如来像」が現存する。
葛西氏の支館、「月輪館」の東門として1540年建築された(県指定文化財)。
樹令800年以上といわれている。
北上川分起点で旧北上川にかかる景勝の地。明治43年に計画、大正5年2月に着工、昭和7年に竣工した北上川と旧北上川の分流施設で、当時の内務省の直接工事として完成しました。明治以降、大河川において堰を使った大規模な分水の事例は少なく、また自然流下により一定流量を分水するオリフィス式に越流部を併せ持つ構造の堰は、全国的にも貴重で価値のある構造とされています。