全日本の観光地へ
林野庁より機構改革により、苗畑跡地として15ヘクタールが払い下げられ、町の直営で畑地として管理していたが、中津川市に合併後、平成17年度より椛の湖ふれあい村に指定管理委託している。畑には色々な農作物が季節に合わせて栽培され販売提供されているが、特に「そばの花」は有名で、4〜5ヘクタールのそばの花が満開期には、青い空と白い絨毯のようなそばの花畑が絶妙なコントラストを見せてくれます。又、都会の子供達に農業体験をさせる「椛の湖農業小学校」もこの地を利用して行われています。
創建年代は不明だが、中世には木曽義仲が厚い信仰をよせたことで知られている由緒ある神社である。木曽義仲は出陣の時には、必ず妻籠の領首樋口氏によって、木曽川を渡舟して坂下神社に代参させ武運長久を祈願していた。平家追討の時、木曽川があいにく氾濫しており渡舟できなかった。そこで、献策を用いて嚆矢を射て、対岸にいた下組庄屋によって代参したことが10月第2日曜日に開催される秋の大祭『花馬まつり』のおこりであると伝わっている。
その他:日火木土9:00〜16:00社務所(売店)滞在時間参拝はいつでも行えます。
恵比寿様と大黒様のご利益で知られる出雲福徳神社では、1月5日に初えびす大祭が行われ、商売繁盛や金運を願う参拝者でにぎわいます。同神社は1932年(昭和7年)に島根・出雲大社から分霊されて創建され、平成7年に高さ約2.2メートルの恵比寿様と大黒様の石像が祭られ、そのお腹に触ると金運上昇の御利益があるといわれ『福徳』の名の縁起のよさも合わせて評判の縁起神社です。
岐阜県重要無形民俗文化財「恵那文楽」の奉納で知られる恵那地方の氏神。恵那神社に立つ2本の老木、夫婦スギ。右側は目通周囲5.48m、樹高46m、左側は目通周囲6.92m、樹高47m。樹齢は不明。県指定天然記念物。
国指定史跡。別名:赤壁城、霞が城
落合の石畳は、明治以降荷車の往来には不都合なため一部取り払われました。昭和63年から平成7年の間に、旧状を留める3か所を含む約800mにわたり、長いあいだ木の葉に埋まっていたものを掘りおこし、石を敷きつめ復元されました。平成17年には特殊舗装により遊歩道として整備されました。そもそも石畳は、急な坂道を大雨の水から守るのが目的でした。落合の石畳,本曽路の西入り口,芭蕉の句碑,藤村自筆の道標などがたつ。
開館:9:30〜17:00入館は16:30まで 休館:月毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日休館) 休館:12月27日〜1月5日
中津川市の本陣や旧家に保管されてきた貴重な郷土資料を公開。
開館時間:10:00〜16:00 定休日:月
明治27年に建てられ、現在は岐阜県指定重要有形民族文化財に指定されている。
東濃・美濃9宿の中では、大名通行や姫宮通行の休泊で一番利用された中津川宿本陣があった。うだつのある家・ます形・旧庄屋屋敷などが残る古い町並み。東から茶屋坂、淀川町、新町、本町、下町と続き、宿の中心あたりを四ツ目川が流れている。町の中枢に当たる本町に本陣があった。
本陣は江戸時代に焼け、その後に再建された。立派な門が人目をひき、土蔵造りの母屋がある。向かいには脇本陣があり、往時をしのぶ家並みが残る。中山道の美濃路最後の宿場だった。十曲峠へ登る道は中山道だ。石で山道を舗装した石畳があり、登りつめると島崎藤村筆の「是よ里(り)北木曽路」の碑や芭蕉の句碑「送られつ送りつ果(はて)は木曽の穐(あき)」がある。藤村の出生地馬籠宿(元山口村)はここから約3km。近くに落合峡が広がり、桜や紅葉が美しい。