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公開:9:00〜17:00
慶長5年(1600)に小堀新助正次が松山代官として赴任した際、この寺を仮館として政務を執り、元和3年(1617)伏見奉行に移るまで、18年間在府した。この寺の鶴亀園は、正次の子・小堀遠江守政一(遠州)が在府中に造ったと伝えられる桃山期の代表的な枯山水庭園である。明治維新の廃仏毀釈の禍いを被って、寺領は没収され、境内の大部分を失ったとき亀島を失ったが、幸い豪快な桃山時代の思想を表現している鶴島と大刈込みが現存している。(国の名勝)(ミシェラングリーンツーリズムジャポン星1)
暦応2年足利氏創建の禅寺。庭は江戸時代初期に備中の国の政務を執った若き日の小堀遠州が造ったもので、名園として広く知られている。庭園は国指定名勝で、岡山後楽園、津山衆楽園とともに、岡山三大庭園とされる。
本堂の薬師堂は勾配のきつい大屋根と、これを支える組物、桟唐戸の彫刻、又随所に桃山風の特徴が表れており県の重要文化財に指定されている。「出城の構え」ともいわれる立派な石垣も見所。
観音堂の格天井(県重要文化財)は、文禄の役時に総大将・宇喜多秀家の御座船に使用されていたもので、船戸とともに有名。「出城の構え」とも言われる立派な石垣も見所。
公開:4月〜9月9:00〜17:30、10月〜3月9:00〜16:30 休業:12月28日〜1月4日
城山の臥牛山は大松山、小松山、天神丸、前山の四峰から成るが、秋庭重信が延応2年(1240)大松山に砦を築いたことに始まります。現在の「備中松山城」は天和3年(1683)、松山藩主水谷勝宗の手によって完成したものといわれています。現在は二層二階の天守の他、二重櫓、大手門や櫓の礎石、土塀、高い石垣などが残っています。平成9年本丸の一部が復元されました。天守、二重櫓、土塀の一部が国重文。
見学:9:00〜17:0010月〜4月9:00〜16:00 休業:12月29日〜1月3日
明治37年に建てられた木造二階建。高梁市郷土資料館として、江戸時代から昭和初期にかけての生活用具など3,000点を展示。擬洋風建築として、旧吹屋小学校、高梁基督教会堂と並び、内部の構造も興味深い。
明治初期の西洋建築として珍しい。現存する県下最古の教会堂。内部には明治初期にキリスト教が迫害を受けたときの「迫害石」が残る。
備中松山城の登り口の一郭には今だに城下町の町割が残されている。石火矢町には主に江戸時代の長屋門と主屋を残した屋敷が続き、武家屋敷は格式をもちながらも質素で、地方武士の当時の生活が偲ばれる。付近一帯がふるさと村として保存措置が講じられている。(昭和49年指定)町並みの一部が「武家屋敷」として公開されている。
頼久寺は、庭園造りで有名な小堀遠州が自身の好みで造った枯山水蓬莱庭園があることで有名である。遥かに愛宕山を借景とし、白砂敷きの中央に鶴島、亀島を置いて蓬莱三尊の石を組みその周囲にサツキの刈込みとツツジの大作りを植え込んで巧みに、中島景観と大海波を表現した庭園。最も美しい季節はもちろん、4月末のツツジの咲く時期から、6月初めのサツキの開花時。庭は国の名勝に指定されている。
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