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北野神社

毎年2月11日夜間行われる田遊びは古い時代の農村信仰の姿を伝えている。

龍福寺

古い板碑が多く,板碑寺とも呼ばれる。

板橋

旧中山道が石神井川を渡る地点にかけられた橋で、板橋区の地名の由来とされています。

茂呂遺跡

昭和26年3月、「オセド山」と呼ばれる独立丘陵(小山)を通る切り通し道路の断面で、石器などが発見されました。その後、同年7月に発掘調査が実施されました。旧石器時代の調査としては群馬県岩宿遺跡に次ぐ全国2例目の調査となり、縄文時代より古い旧石器時代の文化が、日本に普遍的に広がっていることが分かりました。また、この調査で出土したナイフ形石器は、非常に特徴的な形態をしていることから、「茂呂型ナイフ形石器」と名づけられました。遺跡は、昭和44年に、遺物は平成11年に東京都の文化財に指定されています。現在は東京都の公園用地となっていますが、樹林保護のため立ち入ることはできません。

赤塚城跡

戦国時代に千葉氏の居城となっていたところです。中世の典型的な平山城で、周辺には空壕などの遺構がわずかに残っており、往時をしのばせます。

志村一里塚

江戸日本橋から数えて三番目の一里塚。当時の姿を残しているのは都内でも2ヶ所しかなく、国の史跡にも指定されています。

観臓記念碑

休業:年中公開

1771(明和8)年蘭方医前野良沢が小塚原刑場の刑死者の腑分(解剖)に立ち合い,それを機会に杉田玄白らと『解体新書』を翻訳,出版したことを記念した碑。1922(大正11)年に造立,昭和34年に日本医学会,日本歴史学会が改造再建しました。銅板に蘭方医学書の扉を浮き彫りにした珍しい碑です。

滝沢馬琴筆塚

休業:年中公開

滝澤馬琴が『南総里見八犬伝』を書いたことを記念して,1809年(文化6)に建てられた筆塚があります。そばに硯の形の硯塚もあります。

首切り地蔵(小塚原刑場跡)

休業:年中公開

延命地蔵の別名、1741年(寛保元年)に死刑者の霊を慰めるために建立された、高さ約3.6mの花崗岩の地蔵菩薩坐像。1895年(明治28年)に貨物線の南側から現地に移されました。

都立汐入公園

平成18年(2006)4月に開園したこの公園は、南千住八丁目の白鬚西地区市街地再開発事業で整備された広さ12.9ヘクタールの都立公園です。園内は、芝生が心地良い「ふれあい広場」、花で囲まれた「日時計」、子どもに人気の「複合遊具」等の施設が充実しています。バーベキューが出来る広場(要予約)は、家族連れ等で賑わいます。また、公園に隣接するスーパー堤防は、散策路やサイクリングロードとしても利用されています。

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