観光地検索

全日本の観光地へ

2922 件の 284 ページ目 (0.002 秒)

占春園

開園時間:10月〜3月8:00〜17:00 開園時間:4月〜9月8:00〜19:00

水戸徳川家2代光圀の弟松平頼元が、万治2年にここに屋敷を構えた。その子頼貞は陸奥国守山藩主として2万石を領し、大学頭となった。占春園はこの松平家の屋敷内の庭園の名残である。ホトトギスの名所として知られていた。

千駄木ふれあいの杜

江戸城を築いた室町中期の武将・太田道灌ゆかりの屋敷の森。宅地化が進む都心部にあって手付かずのまま残った貴重な自然が守られ、市民緑地となっている。

水神社

言い伝えによれば、水神が八幡宮社司の夢枕に立って、「我水伯(水神)なり、我をこの地にまつらば堰の守護神となり、村民をはじめ江戸町ことごとく安泰なり」と告げたため、ここに水神を祀ったという。日本最古の神田上水は徳川家康の命により開かれた。井の頭池を水源とし、神社の前を流し、すぐ下流の大滝橋あたりに堰を築き、水位を上げて上水を水戸屋敷に入れ、樋(とい)で地下を神田や日本橋方面に流した。

吹上稲荷神社

元和8年(1622)2代将軍徳川秀忠が日光山から稲荷の神体を賜り江戸城内吹上御殿内に「東稲荷宮」と称したのが始まり。5代綱吉のころ、江戸城内から一ツ橋に移遷しその後、水戸徳川家の分家松平大学頭が拝領し、邸内に移した。(現在の教育の森公園)宝暦元年(1751)に大塚の鎮守として松平家から拝受し善仁寺(小石川4丁目)に移し、今日の社名に改名した。(小石川4丁目にある吹上坂の由来となる。)その後、護国寺、薬師寺等に移遷し明治45年に現在地に移った

簸川神社

創建は古く、植物園の東、御殿坂付近にあった古墳上に、第5代孝昭天皇の御世に創建されたと伝えられ、承応元年(1652)白山御殿造営のため原町に移された。さらに元禄12年(1652)景勝の地を選び現在地に移された。

天祖神社

創建は古く、文治5年(1189)源頼朝公奥州藤原泰衡征伐の時、霊夢のお告げがあり神明を祀ると伝えられている。その後宮守もなかったが、慶安年中(1648-1652)堀丹後守年直が再興する。空襲により残らず消失したが氏子各町の熱意により昭和29年新築し現在に至っている。

櫻木神社

文明年間(1469-1487)太田道灌江戸築城の折菅原道真の神霊を京都北野の祠より同城内に勧請せられたもの。その後、桜の馬場の地に建立したが、徳川綱吉同所に昌平校設立のため現在に至る。

金刀比羅神社

文政2年(1819)下板橋宿の板橋市左衛門が所有地内に金毘羅大権現を勧請した。明治13年(1880)無格社・金刀比羅神社として公認された。昭和30年代になり、崇敬者の要望により、松平頼明氏から寄進された現社地に金刀比羅宮直轄境外末社・東京分社として再興することになった。ここは、高松藩松平家上屋敷の邸内社として寛政5年(1793)に勧請された金刀比羅宮が祀られていた場所である。

駒込富士神社

本郷村の名主が天正元年(1573)現在の東京大学の地に駿河の富士浅間社を勧請したことにはじまる。寛永5年(1628)加賀前田家が上屋敷をその地に賜るにあたり、浅間社を現在地に移した。拝殿は富士山に見立てた山の上にあり、江戸期の富士信仰の拠点の一つとなった。6月30日から7月2日の山開きには夜店が出てにぎわいを見せる。

小日向神社

氷川神社と八幡神社を合祀して、明治2年小日向神社と改称された。天慶3年(940)の春当時の常陸国の平貞盛が、この地方を平定して、現在の水道二丁目の日輪寺の上の連華山に建立した。また、八幡神社は昔の名を「田中八幡」といい、現在の音羽一丁目に鎮座していた。創立は、貞観3年(860)の春と記述されている。

旅行情報