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摩文仁の丘

県営平和祈念公園内に位置する糸満市の南東端の丘。標高800m。背後は海岸絶壁になり,沖縄戦の終焉の地。戦没者慰霊塔や慰霊碑が厳粛に立ち並ぶ。

米須貝塚

糸満市字米須の約3,000平方メートルの広大な範囲にある沖縄貝塚時代後期の遺跡。1954年(昭和29年)に琉球大学による発掘調査が行われ土器や石器・貝製品(貝匙、貝錘)などが出土し、その調査結果から県指定史跡となった。海辺には「スーガー」といわれる湧水が海に流れている。

幸地腹・赤比儀腹両門中墓

約300年前に造られた門中墓。「門中(ムンチュウ)」とは父系の血縁集団という意味で、糸満の幸地腹と赤比儀腹の共同墓地となっている。2,500人以上の遺骨が納められており、約5300平方mの敷地の中央に本墓、その前に4基の仮墓、子ども墓2基、納骨堂1基が建つ。頑丈な石造りで出来ている。

具志川城跡

沖縄本島最南端に位置する海岸断崖上の城跡。崖に沿うようにして自然の石を積み上げて作られた野面積みの石垣や、潮吹穴(スーフチミー)と呼ばれる海に通じる天然のタテ穴がある。城跡を見学する他、年間を通して釣りやサーフィンを楽しむ人々も多く訪れるスポットとなっている。

高嶺大里城跡(南山城跡)

切石積みの石塁が残る。二代目城主承察度には子供がなかったため、没後は従弟の汪応租が後継者となったが、15年後にその兄の達勃期に殺された。しかし汪応租の子他魯毎が父の仇を討ち、四代目の王となった。やがて中山王尚巴志が南山城を狙い、家宝の金の風屏と南山城下の「嘉手志川」との交換を申し出た。他魯毎は承諾する。尚巴志は自分のものになった井戸を監視し、自分に従わない者には使用を禁じた。こうして地元民を輩下に組みこんだ尚巴志は宜徳4年(1429)に南山城を攻略した。現在は城壁と遺構の一部を残すのみで、大半が高嶺小学校の敷地内にある。

山巓毛

海の神様へ感謝と願いを捧げる場所であり、糸満の祭祀を司る関係者による神事を行う場所となっている。糸満の町そして海を見下ろすこの丘は晴れた日には慶良間諸島まで見渡せるようになっており、かつては漁をする際に海上からの目印となった丘でもある。また、南山王「他魯毎」(たろまい)が自刃したと伝えられた所。

糸満市観光農園

沖縄本島最南端の海岸線が見渡せる糸満市の農業の振興と地域活性化を図る目的で建設されたテーマパークです。地元のパッションフルーツとアセロラを使った「糸満ワイン」の製造・販売や、ワインの製造工程の見学も行えます。その他、300坪の果樹温室や野外ステージ、全18ホールのパークゴルフ場もあり、子供からお年寄りまで幅広い世代に楽しんで頂けます。

米須・大度浜海岸

県内でも有数のダイビング・サーフスポットで、ウミガメの産卵場所としても知られています。岩場が多く、干潮時には自然観察なども楽しめます。幕末、土佐藩の漁師、中浜万次郎(ジョン万次郎)が鎖国中の日本に帰国するために上陸した場所としても有名

喜屋武岬

沖縄本島最南端の岬。付近の海岸は断崖絶壁で眺望は抜群。展望台横の「平和の塔」は、沖縄戦で戦火に追いつめられ、ここから身を投げた人々に平和を誓い、鎮魂を願って建立されました。

森のガラス館

開館:9:00〜18:00 休館:無休

沖縄北部やんばる観光に便利な名護市にあり ショッピングや体験教室、工房見学など様々な内容で 大人の方からお子様まで楽しめる施設となっております。

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