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雷にまつわる伝説を伝え、“クワバラ、クワバラ”の起り。
底筒男命をまつる。本殿は重要文化財。能舞台は県の重文。
阿弥陀峰山頂にあり、花山天皇の隠棲の地。
藤原鎌足の長子、定慧上人の開基900年間三田はこの寺の門前町として栄えたが、戦国時代戦乱で焼かれその後縮小。(恩田・敬田・悲田)の三田の地名の起こりと言われる。
1574年荒木平太夫の置封で、門前集落を基礎とした城下町が建設された。その後、戦国時代末期から、山崎堅家、有馬則頼、松平重直と城主が代わり、江戸時代、1633年志摩鳥羽の九鬼久隆が三万六千石の大名として入封した。城跡は現在の三田小学校のあるところで、有馬高校実習園が二の丸跡である。三田小学校前に城跡碑があり、有馬高校との間にわずかに内堀が残る。
三田小学校の西側一帯には、家老屋敷や侍屋敷があった。今でも一部にその名残りを見ることができる。屋敷町の坂を下り、七曜橋を渡ると、九鬼氏の家老屋敷がある。1階が和風、2階が洋風の擬洋風建築で、当時そのままの姿で残っている。10名以上の場合、要予約。
約5000平方mの畑に見事な1億輪のシバザクラ大群落がみられる。北海道以外では唯一のシバザクラ専門園。地面を全く見せないほど咲き詰めることから「花のじゅうたん」と名付けられている。
現在寺の門前に造られている永沢寺花菖蒲園は、正確には境内ではないが、ハナショウブ園のすぐ向こうには、山門と本堂の屋根が望まれて、寺域と考えても良い位置にある。10数年前に整備されたもので歴史は浅いが、品種と株の多さでは西日本随一の規模を誇っている。見頃は6月末から7月初め。
県下三大カヤの1つ。樹齢数百年、未だに樹勢衰えることなく枝張り面積40平方m、幹まわり約6m。
しい茸ランドかさやでは、6,000平方mの園内にアジサイ45種、30,000株が植えられている。あいのあじさい園として、ここの名物のひとつになっている。