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佐倉城の起こりは,天文年間(1532〜54)に千葉介親胤が一族の鹿島幹胤に命じて築かせたという。慶長15年(1610)に土井利勝が佐倉へ入城して以来,堀田・稲葉・松平・大久保など譜代大名が城主となって江戸防衛の任を果たした。廃藩後の明治6年,城址に第一軍管東京鎮台の分管が置かれ,終戦時まで軍都として賑い,現在では国立歴史民俗博物館が開館された。◎土井利勝(1573-1644)江戸前期の大老,徳川秀忠の誕生とともにその側近として補佐。1610年下総国佐倉へ移り三万二千四百石,老中となり翌年から佐倉城を築いた。◎堀田正信(1632-1680)江戸前期の大名。父正盛が三代将軍家光に殉死したため家督をつぎ,佐倉城主になる。1680年家綱の死に殉じた。◎堀田正睦(1810-64)佐倉生れ。幕末期の老中,蘭学を重視し「蘭癖」といわれた。西洋医学・洋式軍備を採用,老中になったが尊攘派を押えるのに失敗。佐倉藩の藩政改革に尽した。
駅を出ると燃えるようなツツジ。久留米霧島,リュウキュウなど30〜40種,1万株。古木が多い。
1735年、青木昆陽はこの地で甘藷(さつまいも)の試作を始めました。後に幕張でも栽培が増え、天明・天保の大飢饉にもこの辺りでは餓死者はなかったと伝えられています。試作地跡に記念碑が建てられ、県指定史跡になっています。
悲劇の美少女「手児奈」の墓のあたりに弘法寺の7世日与上人が霊神のお告げによって建立したもの。安産、良縁、お宮参りなど様々なご祈願スポットでもある。『手児奈祭り』は、毎年10月に行われる名物祭事。平成25年度は10月6日(日曜日)に開催される。⇒『手児奈祭り』も参照のこと。
総面積27,000平方mの屋敷に13,000平方平方m、約300種・10,000株以上のあじさいの花が咲き競う。
城下町・佐倉の主に町家の歴史について、江戸時代から明治・大正・昭和の足跡をたどる資料館である。歴史と文化、生活を伝える調度品や佐倉城に関する資料を展示している。また、幸運を呼ぶと人気な佐倉七福神巡りの拠点となっている。
里見公園の中に北原白秋が昭和4年から5年にかけて住んでいた小岩の旧居「紫烟草舎」が移築されている。