弘川寺
大阪府南河内郡河南町弘川43
近鉄富田林駅から路線バスで約20分。「願はくは花のしたにて春死なむそのきさらぎの望月のころ」と詠んだ平安時代末期の歌人・西行がその歌の通り、桜の季節に生涯を閉じた地として知られる。名峰葛城山の麓にあり、寺の周辺は桜の名所として有名で「大阪みどりの百選」に選ばれている。天智天皇四年(665)、役小角が自ら彫った薬師如来を本尊として開創した古寺。天平9年(737)、行基がこの寺で修行し、弘仁3年(812)、空海が伽藍を一新したと伝えられる。兵火に遭い、一時は焦土と化したがその後、復興。多くの堂舎はもとの位置に近い場所に再建され、現在に至る。山内には西行の墳墓や西行堂、多くの西行像や西行にまつわる絵画、書、資料などを集めた「西行記念館」もある。