千手寺
大阪府東大阪市東石切町3丁目3-16
役行者(えんのぎょうじゃ)によって開かれ、その後、空海(弘法大師)が千手観音を本尊として中興したと伝えられています。惟喬(これたか)親王の乱で出火消失し、本尊の千手観音が深野池に飛入。池の中で光を放っているのを在原業平(ありわらのなりひら)が発見して、寺を再建したといわれ、業平の腰掛石や五輪塔、業平廟(びょう)などが残っています。また、境内には、大正時代に「そろり」という落語家が芭蕉の句をもじってつくった「業平と背中合わせのぬくさかな」という歌碑もあります。寺にある湛海(たんかい)作の不動明王坐像は大阪府の指定文化財です。また、本堂の裏に古墳時代後期の横穴式石室が保存され(弁天塚古墳)、見学することができます。