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亨保年間、キリシタン弾圧でこの地のキリシタン信者が処刑され、40名ずつ3ヶ所にお経とともに埋められたところ。米川綱木地区の海無沢、老ノ沢、朴ノ沢の3ケ所に塚があったが、原形をとどめているのは、海無沢三経塚のみである。
平泉全盛時代より当地域にあったといわれる。
西郡館主、大内備前義春の勧請した神社。
奥州七観音の一つで馬の守護神たる馬頭観音堂がある。春祭3月19日、秋祭10月19日。
原田甲斐ゆかりの寺。原田甲斐の首を、裏庭のイチョウの木を目印に密葬したと伝えられている。
40数基の古碑で元徳時代もある。当時の豪族の墓地、供養の塚と思われる。
縄文時代の土器石器が出土している。
縄文時代土器、石器が出土している。慶長年間(1604年頃)伊達の家臣、石母田大膳の居館跡で名前がついた。
江戸時代の建築美である。
伊達十三代藩主慶邦公が領内北部の巡視時に利用した宿泊所。書院造りで、内部には武者隠しの部屋が残されており、茶室や句碑がある庭園が風情を誘います。また、山岡鉄舟の襖絵、掛け軸などが公開されています。建築当初は、米川地内にあったものを、明治39年米谷の実業家佐藤新助が買い求め、この地に移築したものです。(入場料:200円)