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明治43年に建築された旧総社警察署の建物で、現存する市内唯一の明治洋風建築。多角形の楼閣風の入口が明治の雰囲気を漂わせている。備中売薬や阿曽の鋳物、い草関係など、明治を中心とした伝統産業の資料を展示している。
鬼ノ城の山裾を、西から東南に流れる砂川。炊事棟やトイレが完備されたキャンプ場のほか、ウォータースライダーなどもある。
アカマツ林に囲まれ、アウトドアが満喫できるキャンプ場。
総社は、国中の神社を巡拝する慣わしの不便を省くため、平安末期に国府近くに造られるようになったもので、備中の総社は324社の神を合祀した社。前庭の三島式庭園は、古代様式を今に伝え、長い回廊が美しい影を水面に映している。また、拝殿には円山応挙や大原呑舟らによって描かれたと伝えられる絵馬が掲げられている。
画聖雪舟が幼い頃修行し、涙でネズミの絵を描いたという伝説で有名な寺。もとは天台宗だったが鈍庵禅師が七堂伽藍を建立してから中国地方屈指の禅寺となった。
アカマツにつつまれた丘陵地のほぼ中央部に位置し、聖武天皇の発願によって諸国に建立された国分寺の一つ。建物は南北朝時代に焼失したと伝えられ、現在の建物は江戸時代に再建された。境内にそびえる五重塔(国重文)は、県内唯一のもの。
標高400m〜600mの吉備高原の南縁に位置し、眼下には古代吉備の中枢地である総社平野を臨むことができる。快晴時には、瀬戸内から遠く四国の山並みも望見される眺望絶景の地。鬼ノ城は古代山城で、その規模と構造が最もよくわかっている城といわれている。吉備津彦命の温羅退治の伝説でも有名。ハイキングコースとしても脚光をあびている。
国分寺の東方、アカマツ林の中に円形の造り出しのある立派な礎石群が昔日のまま残っている。伽藍は、南大門、中門、金堂、講堂が一直線に配置され、都の寺院に匹敵する規模を誇り、天平時代の壮大さを感じさせる。
文久3年(1863年)に1万石に加増され、旗本から大名となって陣屋を新たに浅尾に築いて、慶応2年(1866年)の倉敷浅尾騒動により焼失。復興を待たずして明治となる。今では松や雑木につつまれた低い山の陵線に、わずかに土塁を残しているのみである。
備中国分寺から西約1キロにある小高い丘、これが巨大な前方後円墳。全国第9位の規模で、まさしく作り山。古代吉備の勢力の強大さを物語っている。