常山城跡
岡山県玉野市字藤木
創築不詳。一説に上野土佐守が文明年間(1469-87)に築いたという。天正3年(1575)上野高徳のとき毛利氏に背いて織田信長に属し、このため毛利氏の将小早川隆景に攻められ落城した。そのあと岡山城主宇喜多直家の家老戸川肥後守の居城となるが、慶長2年(1597)戸川の死後は廃城となった。今は、石垣や井戸の他城主夫妻の墓が残る。戦国時代の天正3年(1575)に備中松山城主・三村氏一族の上野隆徳軍と安芸の毛利勢が,この地で激突,全国でも珍しい女軍哀史が生まれたことでも有名である。