旧石井県令私邸
岩手県盛岡市清水町7-51
計,施工共に不明である。明治19年盛岡監獄移転建築用の煉瓦及び囚人使役によって新築落成したと言い伝えられているが,裏付け資料は不詳である。半地下階,1階,2階の煉瓦組積造3階建てで,屋根裏部屋を有する。外壁は砂漆喰塗仕上げ,屋根はほぼ正方形の寄棟日本瓦葺,屋根に2個所のドーマー窓のある比較的シンプルなヨーロッパ民家風の建物といったところが当初の外観である。内部は,1階床2階床小屋組と木造であり,壁は漆喰塗,腰壁は板張,天井は木製透かし彫りの装飾があり,各室に暖炉を配して一部には当時の輸入品と思われる外国産化粧タイルが用いられている。概して装飾は少なく専門の建築家の設計にしては様式の統一性はない。1,2階はほぼ同じ間取りで原型に保っている。半地下階は現在使用されていないが,厨房その他使用人の用に供していたと考えられ,1階の洋風の浴室と共に日本人の生活習慣からは恐らく生まれてこない設計なので,外国人の設計といわれる一つの根拠と考えられる。1,2階の間取りも日常生活を送るというよりは来客接待用に適応する雰囲気で,地下階の連絡用の通路により和風家屋がこの建物に近接して同時に建てられていたとする説に現実感がある。なお,外壁煉瓦積に胴蛇腹と軒蛇腹に煉瓦の積出しのバンドが廻っているが,この積出しのあるフランス積といった手法は旧盛岡監獄の外周壁の煉瓦積と同じであり,建設に伴う事情を解く手掛かりとなり得よう。いずれにしても,国鉄盛岡工場,旧盛岡刑務所少年刑務所跡の外周壁と共に明治初期の盛岡近代化を実証している煉瓦造建築である。