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江戸時代の名僧・良寛。自然を愛し、子供らを愛し、清水のように生きたと言われています。晩年を燕市国上山で過ごし、良寛は限りなくおおらかな人間愛と芸術性の高い数々の詩歌や書を書き、多くの現代人の心をとらえて魅了しています。館内には五合庵・乙子神社草庵時代の遺墨、関係資料などを展示。特に晩年、親交の厚かった解良家、阿部家に伝わる白眉ともいえる名品に注目が集まります。
明治42年の着工から約20年の歳月をかけて完成した大河津分水路。当時は「東洋のパナマ運河」とよばれるほどの大事業でした。現在も私達の豊かな生活を守り続けています。また、70年以上もの間、幾多の洪水を受け流してきた旧可動堰から先人の夢を受け継ぎ、平成23年11月、新たな希望をせおった可動堰が通水しました。信濃川改修工事から100年を記念して建てられた大河津資料館では、これらの工事や歴史についてくわしく学ぶことができます。
良寛ゆかりの国上山の中腹にあり、朝日山展望台と五合庵を結ぶ長さ124メートルの吊り橋。新緑、燃えるような紅葉、雪化粧に包まれる姿と様々な表情を見せてくれます。新潟の橋50選にも選ばれています。
江戸時代の名僧・良寛が托鉢の道すがら、よく足を止めた場所とされています。そのときに、かつて五合庵に住んでいた萬元上人を偲んだ歌をうたったとされています。現在、そのころのおもかげは一変してしまいましたが、この岡だけは残っており、思いをはせる絶好の憩いの場として多くの人々に愛され続けています。
園内には木製遊具やムーンカート、一輪車などが備えられています。遊歩道からは国上山へ登ることもできます。
五合庵の老朽化と朝夕の山道の登り降りが老身にこたえるようになり、良寛は文化13年(1816年)から約10年、乙子神社社務所に移り住みました。以来、誰いうこともなく乙子神社草庵と呼ぶようになりました。
御祭神は天照大神の曾孫の天香山命で越後地方の開拓にあたられ、信濃川で治水開拓、稲作等、農耕の道や産業の基礎をさずけられ、また越後一の宮として県内外の信仰が厚い。
晴れた日には佐渡島,日本海に沈む見事な夕日を眺めることが出来ます。地元間瀬や近郊の漁港から揚がる新鮮な海の幸も楽しめます。
遠浅で穏やかな波、透き通った海ときれいな砂浜の海水浴場。夕日も美しく、海に沈む様子は感動的。【設備】●脱衣所:無し●シャワー:無し●浜茶屋:6軒●トイレ:有り●浜:砂浜●遠浅:○●バーベキュー:○※浜茶屋では一部可能●宿泊施設:浜茶屋8軒【マリンスポーツ】●サーフィン:不可●ボードセイリング:不可●水上スキー:不可
シーズンになるとりんごの甘酸っぱいにおいがあたりを包みます。りんご狩りを楽しめ、真っ赤になっているりんごを、その場でとって食べる味はまた格別です。●収穫したキロ数により販売しています。※団体のご利用の場合や時期・品種などは事前にお問い合わせ下さい。