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寛永年間以降,小川村は,徳川御三家のひとつ尾張徳川家のお鷹場になっており,この道は狩猟の案内道であった。
慶長年間の開通とされ,小平の開発以前から存在し石灰運輸の幹線であった。
小平市域では,玉川上水と並行しているところが多く桜並木に花見客で大変賑わったが,交通量の増と老木が多く,その面影は減少している。
樹齢300年以上高さ35m,太さ6.5m,枝張り面積400平方m。
現地保存が不可能な文化的価値の高い建造物を移築・復元保存・展示し文化遺産として継承することを目的とした施設。特に江戸末期・明治初期の商家などもある。
小金井小次郎は,幕末の大侠客で,新門辰五郎の弟分として幕府の御用を勤めた。墓の近くにある桜は「小次郎桜」と呼ばれ賞讃されている。
昭和6年に全国の青年団指導者養成のための青年団講習所が開設され、昭和8年から12年まで、作家・下村湖人が所長を勤めた。湖人は講習期間中、空林荘に泊り込み、青年達の指導にあたった。また、湖人はこの頃から「次郎物語」の執筆を始め、第五部に登場する「友愛塾」はこの「空林荘」がモデルとなった。現在は市の文化財センター。
面積約70万平方m,その広々とした草地や自然林は,武蔵野のおもかげを十分に残している。かつて公園に沿って流れる玉川上水の提は桜の名勝だったが,その大半が枯れてしまった現在,それに代って開園当時植えられた約2,000本の桜が大木に成長し,今では都内有数の桜の名所となっている。
武蔵野の風情を色濃く留める庭園。この名は元首相犬養毅氏が「波のように青い水をたたえた泉」との意味から名付けたもの。湧水・池・ハケそして樹林とが一つの自然の姿を形づくり,市街地の中に残る庭園として貴重なものである。
古くから“貫井弁天”の名で親しまれている。市杵島姫命を祀る