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無罪を叫んで死んだ慈運法印(延享4年)の墓に植えた蘇鉄に花が咲く年は,きまって赦免状が届いたことからこう呼ばれた。
中里の玉石垣の上に立つ地蔵堂。堂内の白い地蔵尊は,島の異変で顔色が変わり,汗を流すという。
源為朝を祀る。為朝のものと伝える甲胃も残る。
島で一番古くからのお寺。黄八丈の名号軸は逸品。
雨乞の神として大山祇命を祭ってある。
享禄元年(1528)に北条氏綱の家臣が代官となって来島し,ここに陣屋を設けたのに始まり,以来明治41年(1908)まで380年間,島政の中心となっていた場所である。現在は玉石垣だけが残されている。
村の人々によって造られた井戸で,その形がメットウ貝に似た漏斗状のところから「メットウ井戸」と呼ばれてきた。水が貴重である八丈島では,この水は村人ばかりでなく,寄港する船にとっても大切な飲料水であった。
八丈随一,雄大な眺望。(新東京百景)
八丈島を代表する花卉園芸品で島内いたるところで栽培され,町木となっている。
八丈冨士(854m)の火口内には中央火口近や小穴の中にヤマグルマなどの樹木が生い茂り神秘的な雰囲気をかもし出している。