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明治19年3月に第一農場から烏が森の西方に建設され、本格的に開墾事業推進の本拠となった所。
この丘は、標高248.5mで中腹には那須野ヶ原開拓の恩人である印南丈作夫婦,矢板武,安藤治輔,品川貞之進の5人の墓がある。那須野ヶ原の広大な原っぱにあったこの丘は松の緑におおわれていた。印南丈作はこの地を愛し、死後生前の希望によりこの地に葬られた。
明治時代に総理大臣をしたことがある松方正義が明治36年に建てた当時としてはめずらしい西洋造りの別荘。木造2階建(外壁の一部は石)1階228.42平方m2階105.78平方m明治39年皇太子宿泊大正12年摂政宮滞在万歳閣と呼ばれた。【現在は、外観のみしか見学できません。】
明治18年開拓の精神的よりどころとして高僧の雲照律師が建立した。
3,500株のあやめ
水戸黄門が諸国漫遊の途中,この木陰で憩い,土地の者に木の名前をたずねたところ誰もわからなかったので「なんじゃもんじゃ」と命名されたと伝えられている。「ハルニレ」と言われる木