沖縄師範健児之塔
沖縄県糸満市摩文仁548
糸満市摩文仁丘の麓にあって、沖縄師範学校の野田貞雄校長他、17名の職員と、生徒289名、計307名を祀ってある。沖縄師範学校に、昭和20年3月31日、召集令が下り、同日夕刻予科2年より本科3年までの386余名の生徒は鉄血勤皇師範隊を編成し、本部、斬込隊、千早隊、野戦築城隊、特別編成隊を組織して、4月1日より軍の作戦に参加した。最初は軍と共に首里戦線で活動したが、5月下旬より戦況不利になったので司令官とともに南部地区へ移動し、最後にこの摩文仁の壕まで退却した。6月19日、解散命令の出たあと敵軍に斬り込む者、この壕内で自決する者など、多くの犠牲を出した。終戦後、生存者及び竜潭同窓会員の寄附によってこの塔ができた。