全日本の観光地へ
辺春川流域には数多くの眼鏡橋が残っていますが、その中で最も大きい眼鏡橋が黒岩橋です。橋の親柱に『黒岩橋明治二十五稔九月』と刻まれています。このように「橋名・年号」があり、匂欄(欄干)があるのは町内ではこの橋だけです。橋は、長さ10.3m、外径8.5m、幅1.8mです。昭和54年に眼鏡橋研究か山口祐造が氏がこの橋を見て「熊本の通潤橋を架けた肥後の石工、橋本勘五郎の明治22〜25年までの空白であった足取りの謎が解けた」といわれるほど貴重な眼鏡橋です。
ほたるの生態と石橋の歴史の展示や地元食材を使ったレストランがあります。また地元特産品が揃ったショップ「茶彩館」が隣接しています。
八女茶の製法、紹介、製茶用具の展示。
記念館・茶室・遊歩道(1,000m)・キャンプ場・伝習施設・加工施設・温室施設・養殖施設。
城島総合文化センターはホールや研修施設、図書館の複合施設です。インガットホールは音楽を主体とした多目的ホール、赤と黒を基調に和の雰囲気を取り入れています。イベントホールは完全防音の上、仮設ステージ、音響・照明機材を備え、多目的に利用できます。
正徳2年(1712)御井郡河北のかんがい用水として、草野又六と5人の庄屋たちは数々の苦心の末、筑後川をせきとめる大きな石堰を造った。これが恵利堰であり、床島の百間堰、佐田堰を総称して床島堰といい、約3、000haをうるおしている。この草野又六と五庄屋を祀っているのが大堰神社である。
菊池武光の銅像あり、桜の名所。
大堰開さくの恩人を祀る。床島堰
平安時代より栄えた三原家居城跡。別名本郷城とも呼ばれ、その規模は南北約150m・東西約110mにおよび、外堀・内堀を構え角櫓・物見失狭間などを設けていた平城だった。戦国時代の天正14年城主・三原招心が、四王寺山の岩屋城における島津勢との戦いで壮絶な最後を遂げ、主を失った城も終焉を迎えた。