福岡城跡
福岡県福岡市中央区城内
黒田長政が慶長6年(1601)に玄界灘を一望に収める福崎という低丘陵地を利用して築城。ここには古代、大宰府の鴻臚館が置かれ、唐津から博多に至る航路と糸島・筑紫平野を押さえる要地であった。朝鮮出陣のとき長政が見てきた堅固な晋州城を模範にして、大坂・江戸城の築城に参加した石垣造りの巧者野口一成を普請奉行に7年がかりで完成した。十二代270年余にわたる黒田氏の居城。舞鶴城ともいう。現在は大手門・潮見櫓・多聞櫓・母里太兵衛屋敷長屋門などがあり、舞鶴公園として公開されている。また外堀には天然記念物のツクシオオカヤツリが自生し、城跡内には平和台陸上競技場・鴻臚館跡展示場などがある。◎黒田長政(1568-1622)姫路生れ。天正17年父孝高の封を受け豊前6郡を領す。征韓の役、関ケ原の役で殊功あり、筑前五十二万三千石を賜う。福岡藩祖。