忠治地蔵
群馬県吾妻郡東吾妻町大戸
高崎市寄りの道路わきにあり忠治地蔵と慰霊碑がある。上州佐波郡国定村に生まれた忠治は、天明の大飢饉の際、餓死する庶民を見るに忍びず、岩鼻代官を殺害して蓄米倉を開放、赤城山にこもった。さらに大戸の関所を破り、嘉永3年(1850)12月21日、反逆の罪でこの地で磔刑された。忠治の首は2夜3日間、晒首にされたが、その仁侠心は大衆の愛するところだったせいか、わずか10年後の文久元年(1861)には、背丈2m余もある忠治地蔵尊が建てられ、以来、そのめい福を祈る人たちが絶えたことがないという。