宮子姫(かみなが姫)の像
和歌山県御坊市湯川町富安
宮子姫(かみなが姫)伝説今から約1300年ほど前に、九海士(くあま)の浦(現在の御坊市藤田町吉田「八幡山周辺」)という小さな漁村で生まれた宮子という女の子には、大きくなっても髪の毛が生えませんでした。ある日、宮子の母親が海底に沈む小さな黄金の観音さまを拾い上げ「娘の髪が生えてきますように…」と願いをかけると、不思議なことに黒髪が生え日に日に長くなりました。この髪を燕がくわえ、奈良の都へ飛んでいき、当時絶大な勢力を誇っていた藤原不比等(ふひと)の屋敷の軒へ巣を造りました。巣から垂れ下がった長い髪を見た不比等は、宮子を探し出し養女に迎え入れ、いつしか宮子の髪は人がうらやむほどの長さになり、第四十二代文武天皇の妃となり、第四十五代聖武天皇の御生母となりました。「かみなが姫」と呼ばれるようになった宮子姫は、自分を幸せにしてくれた観音さまをお祀りしたいと天皇にお願いし、現在、歌舞伎で有名な道成寺(どうじょうじ)が建立されたと言われています。