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湯の児温泉にある湯の児島にある公園。温泉街から観月橋でわたることが出来る。
湯の児チェリーライン沿いにある公園。桜やつつじがあり、季節により楽しめる。つつじ4,000本
湯の児チェリーライン沿いにある公園。桜の季節には多くの見物客でにぎわう。
築城年代不明。一国一城が発令される3年前に破却された。城郭の規模や構造に関する史料は乏しかったが、平成21年度から保存整備を検討するための確認調査に着手、新たな石垣の発見や、「慶長12年」銘入り軒平瓦片の出土などがあっている。
昭和3年斎藤俊三氏によって発見された。貝層から土器片や獣骨、人骨、骨製の装身具などが出土している。南福寺式土器の標式遺跡である。
関ケ原ノ合戦の時、西軍に加わった島津軍と、東軍についた水俣軍との交戦で戦死した将兵を祀るために建立したのが千人塚。仏石はこの戦いで討ち死にした深水頼道の霊を弔うため、水俣最後の代官である深水頼寛が建てたもの。
足利時代の末期、応仁の乱後の乱世を憂い、建立されたものといわれる。定蔵院朝全が比丘安修に造らせたもので、上部の円相内に地蔵尊の種子「カ」が刻まれ、その下に錫杖をかたげた地蔵尊が蓮華座上にたっている。
明治10(1877)年の西南の役で戦死した官軍の軍人・軍夫らが埋葬されている。ここには42基あるがそのほとんどが鹿児島県伊佐市で戦死した東京、名古屋、大阪の各鎮台及び近衛所属の将兵の墓碑である。熊本県指定史跡
旧石器時代、縄文早期〜前期、中期にかけての遺物が出土。この高原上には、数箇所にわたって旧石器時代の遺跡が確認されており、旧石器時代研究の上で貴重な存在となっている。
蘇峰が先祖徳富家の教育に寄せた関心と、父淇水の、郷土愛を忍んで町に贈った寄付をもとに昭和4年町立淇水文庫(図書館)として開館。その後昭和58年に、蘇峰・蘆花の業績を伝えるため、いまの「蘇峰記念館」となる。館内では、蘇峰を中心に、淇水・蘆花に関する資料を展示している。