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昭和46年10月建立。“名や思ふこよいしぐれぬ秋の月”飯尾宗祇は、連歌を芸術的に高め、格調の整った正風連歌を大成した人で、連歌の宗匠として諸国を周遊し、自然に親しみ各所で連歌の普及に努めた。室町末期の文明12年(1480年)9月、宗祇は門司を振り出しに太宰府〜博多〜宗像〜芦屋と風流の旅を続ける道すがら、若松に立ち寄り、この1首を残した。
昭和7年4月建立。“木のもとは汁もなますも桜かな”元禄3年(1690年)、伊賀上野の風麦亭で行われた花見の時の作。
昭和49年9月建立。“たもとほる千振りひきの姨ひとり”
この地は、豊前境に近く、また若松・黒崎の港を抱える洞海ののどもとにあたるところから、福岡藩は正徳元年(1711年)、船舶取り締まりのため番所をおいた。以後、洞海湾に出入りする船や人を監視してきたが、明治6年船改所となり、明治10年廃止された。現在は、「洲口番所跡」の石碑がある。
定休日:休日毎週月曜日、12月31日、1月1日、8月15日
大正13年12月建立。参道石段上り口の左側にある。“海の外おきつ千島も天皇の稜威かしこみいつきまつろふ”
昭和25年建立。“和布刈火や転た傾く峡の海”
“都なる九重の内恋しくは柳の御所を立寄りて見よ”安徳帝を偲んで詠んだ和歌である。