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天保山砲台跡

薩英戦争時の砲台として活躍した。

祇園之洲砲台跡

島津家27代藩主斎興から次の藩主斎彬にかけて築造。薩英戦争時に活躍した。

西郷洞窟

西南戦争の時西郷隆盛が最後の5日間をすごした洞窟。

慈眼寺跡

百済の僧日羅が開基といわれる。1869年の廃仏毀釈により寺は焼失し廃寺となった。現在は公園となっている。

私学校跡

西郷隆盛が設立した私学校跡。石垣には西南戦争のときの弾丸の跡が残る。

福昌寺跡

島津家歴代の墓地。付近にキリシタン墓地もある。福昌寺は、1869(明治2年)の廃仏毀釈により廃寺となる。

鶴丸城跡

慶長7年(1602)に島津家久が鹿児島の西北にある城山の南麓に築いた城。城の地形が鶴の羽を広げた姿に似ていたので、鶴丸城の愛称がある。城自体は質素な屋形造りの居館であった。これは鹿児島藩独特の外城制度による。元禄9年(1696)に大火に遭い、再建されたが、明治6年(1873)にも出火して全焼。焼け跡に征韓論に破れて薩摩に帰った西郷隆盛が私学校をつくった。府城・御館などともいう。現在、本丸と鹿児島の歴史資料を展示する黎明館が建っている。◎島津家久(1576-1638)加久藤城生れ。島津藩主初代。外様大名。七二万石を領す。慶長7年鶴丸城を築き、外城制度、奄美沖縄領国化など藩体制の基礎を確立。◎島津重豪(1745-1833)加治木生れ。島津藩主。造士館創設。開明策をとり豪奢な生活をし、樺山主税らの緊縮策を嫌い、近思録崩で処断。晩年調所に藩政改革を命じた。◎島津斉彬(1809-58)江戸生れ。島津藩主。重豪の影響で洋学を学び、近代工業の創立に努め、集成館を作った。開国派で、慶喜を将軍に推した。西郷らを登用した。

清泉寺跡

百済の名僧日羅が開基し,後に再興したが1869年の廃仏き釈により廃寺となった。磨崖仏が残る。

ザビエル滞鹿記念碑

明治年間に建てられた教会堂のうち戦災で残った石壁の一部をザビエルの胸像とともに,1949年にザビエル渡来400年を記念してローマ法皇の寄付をもとに近代ゴシック建築の教会堂が再建された。

異人館(旧鹿児島紡績所技師館)

開館:8:30〜17:30 休館:年中無休

第二十九代薩摩藩主・島津忠義は、英国から紡績機械を輸入し、日本初の洋式紡績所を造った。異人館は、指導にあたった英国人技師の宿舎として建てられたもの。日本における初期の西洋建築の代表例として、建築学的にも重要な建物。

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