亀山城跡
明智光秀が天正8年(1580)に築城。羽柴秀勝ら豊臣時代の城主をへて、江戸中期から松平氏の居城になる。五万石前後の小藩の城であるが、規模は二十数万石に相当した。明治10年(1877)廃城となり、城址は大本教に属したが、天皇への反逆という名目による大弾圧のさい、城址も徹底的に破壊された。現在は石垣が残る。◎明智光秀(1526-82)美濃生れ。織田信長の家臣となり、丹後亀山の城主となる。信長を本能寺に殺し、山崎で秀吉と戦い、敗死。◎羽柴秀勝(1569〜1592)安土桃山時代の武将。文禄の役で朝鮮に出兵、渡海して唐島に陣したが陣中で病没した。