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今滝寺(木造金剛力士像)

八木城主八木氏の菩提寺で、1069年(延久元年)に創建したとされています。仁王門の「木造金剛力士像」は1257年(正嘉元年)に制作されたもので、仏師は阿形像が澄玄、吽形像が淡路公と判明しています。彫刻は素朴かつ重厚で地方作と思われますが、鎌倉時代中期の力強い力士像です。

名草神社

名草神社は妙見山(みょうけんさん)中腹にある神社で、五穀豊穣・縁結びの神様としてお祀りされています。周りには樹齢200年を超える妙見杉の巨木が立ち並び、神秘的な雰囲気をかもし出しています。神社の境内にある拝殿は中央が通路になっているたいへん珍しい造りです。本殿には、さまざまな表情や動きをした獅子の彫刻が施されています。美しい朱色の三重塔は、軒下の部分に4匹の猿の彫刻があります。「見ざる、言わざる、聞かざる、思わざる」のポーズをとっている四猿(しえん)の彫刻は、名草神社の三重塔だけでしか見られないものです。これら3つの建物は、国の重要文化財に指定されています。

日光院

但馬守護の山名持豊(宗全)をはじめ、垣屋・八木・太田垣氏など但馬の有力武将たちの信仰が厚く、数多くの古文書が保管されています。秋は寒暖の差が大きいため、木枯らしを受けた大イチョウの落ち葉で境内が見事な黄金色に埋め尽くされます。

浅間寺

730年(天平2年)に開祖された歴史あるお寺で、木造の薬師如来座像は兵庫県の指定文化財です。

八木城跡

八木藩一万五千石の隆盛が偲ばれ、又、歴史的に貴重な城跡である。

箕谷古墳群

「戊辰年五月」の銅象嵌文字をもつ大刀が発見された。古墳公園として整備完成。

青谿書院

幕末から明治の初めにかけて但馬聖人・池田草庵が開いた漢学塾(当時の宿舎兼学舎)です。草庵は朱子学と陽明学を融合した独自の学問に加え、さらに修養を重んじた教えを説き、門人たちと起居をともにして弟子の教育に没頭しました。教えを慕って入門した門人の数は、全国30ヵ所から673人にのぼり、日本の近代化を担った多くの人材を育成しました。日本金融界の基礎を築いた原六郎や日本近代眼科の父・河本金次郎、東大総長を二度務めた浜尾新、琵琶湖疏水を開いた北垣国道などが知られています。「青谿書院資料館」には、草庵の遺品、著書をはじめ、関係資料を数百点展示しています。開館日・時間とも不定期で、見学には事前の連絡が必要です。

うだつのある町並み

「うだつ」は、もともとは延焼を防ぐ目的だったものが、時代とともに家の装飾になり、さらに「うだつが上がらぬ」といわれるように、家格を示す象徴になったとされています。円山川と八木川が合流する盆地に位置する養父市八鹿町八鹿は、舟運が物流の主役だった時代は、船着場として栄えました。さらに江戸時代後期に但馬地方で養蚕が盛んになると、繭や生糸の集散地となり、八鹿商人は大いに活躍しました。その結果、新町区や諏訪町区などの古くからの商店街には、うだつのある建物が多く見られます。

但馬の養蚕家屋集落

大屋町には今でも、3階建ての養蚕住宅が残っています。2階もしくは3階まで壁を高くして瓦葺の屋根を持った家が多く、養蚕の普及した19世紀中頃から小屋部分を利用して蚕を飼うようになりました。中でも大屋町大杉地区は養蚕住宅の町並みが良く保全されていることから、兵庫県景観形成地区に指定されています。養蚕における世界的先駆者・上垣守国は、大屋町蔵垣で生まれました。守国は家業の農家のかたわら村の人々に学問を教え、若くして村の庄屋となり、晩年まで村のために貢献しました。

高照寺

関西花の寺5番札所。400本の木蓮と500株の白萩。

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