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寿都温泉ゆべつのゆ

営業:10:00〜21:30

露天風呂・ジャグジー・サウナ・家族風呂等、様々な浴槽を楽しめる。広々とした空間でゆっくりとくつろげる大広間、家族でゆったりと過ごせるファミリールーム、色々なメニューを楽しめるレストラン、各種町の名産品を取りそろえた売店と各施設も充実している。

道の駅「みなとま〜れ寿都」

営業時間:4月〜10月9:00〜18:00売店は9:30〜17:00 営業時間:11月〜3月9:00〜17:00売店は9:30〜17:00 休館日:年末年始、毎週第1月曜日(休日・祝日

道の駅「みなとま〜れ寿都」は札幌市中心街から約150km、函館市から約140kmで札幌市と函館市のほぼ中間に位置している。国道229号線は追分ソーランラインで弁慶岬から磯谷までのルートは、歴史的建造物などがあり、海のロマンを感じる湾岸観光ルートになっている。また、寿都漁港に隣接しており、漁港を一望できる優位性を生かした「海と一体感」ある道の駅となっている。

かき小屋

営業:春夏秋冬11:00〜16:00年末年始(12/26〜1/6)は休業

寿都の特産品である「寿かき」を始め、寿都湾で水揚げされた新鮮な海産物を中心に、豪快な鉄板蒸し焼きでいただけます。小屋から望む寿都湾の景色も魅力の1つ。海鮮焼きのメニューには、かきの他、ほたて、うに、ズワイガニなど季節によってその旬のメニューを堪能できます。寿かきのシーズン(4月〜6月)以外は、道産のかきを使用し、年中かきを堪能できます。

鰊建網の記念碑(行成網記念碑)

定置網の元祖で嘉永年間歌棄,磯谷場所請負人佐藤伊三右衛門が発明しニシン漁法に革命を与えた北海道ニシン黄金時代を築いた記念碑。

弁慶岬

奥州を逃れた義経・弁慶一行は蝦夷地に渡り、この地に滞在していた。弁慶の舎弟ともいうべき常陸坊海尊が、義経再挙の兵を募って蝦夷へ向かったという情報を得た弁慶は、毎日毎日、この岬の先端に立って海尊の到着を待っていたが、海尊軍団の船影を見ることはできなかった。そんな弁慶の姿を見ていたアイヌたちは、この岬のことを、弁慶が同志を待ちわびていた岬ということから、いつしか弁慶岬と呼ぶようになったといわれる伝説が残る。高さ台座1m40cm、本体3m60cm。義経の再挙を願う弁慶が、同士の到着を仁王立ちで待つ姿が再現された銅像が建っている。夕日の絶景スポットとしても知られる。

追分記念碑

かつて鰊漁が華やかであった開拓の初期、積丹半島の神威岬から女人の渡航ができなかった。「忍路高島およびもないがせめて歌棄磯谷まで」。北へ出漁した男に対する切々たる慕情を歌ったのが有名な江差追分の一節である。この歌にゆかりの深い風光明媚な歌棄海岸に建てられた。

弁慶の土俵跡

弁慶が義経をなぐさめるため、アイヌと相撲をした土俵跡。昔は弁慶が力足を踏んだ跡が、わらじばきの足跡としてあり、土俵のふちの高さが30センチもあったという。この地域は、「狩場・茂津多道立自然公園」内にあり、遠く狩場山・茂津多・積丹・雷電の岬を一望できる景勝の地で、伝説と夕日の名所として知られています

寿都鰊御殿

釘を一本も使っていない見事な建築のお宿鰊御殿。鰊漁で賑わっていた当時の漁具や生活用具は一般公開されている。

カクジュウ佐藤家

義経の家臣、佐藤継信の末裔(まつえい)が明治初期に建てた漁場建築の代表的な建築物。現在でも人が住んでおり、ニシン場時代の資料や文献が大切に保管されています。洋風の六角形の明かり取り、その背後に和風の切妻屋根の煙出しを設けた洋風と和風とが入りまじった折衷の独自のスタイルの外形をもっている。旧態の保存が良好である上、建築年代、規模、意匠、構造の諸点からみて、現存の漁場建築中で、この建物に匹敵するものがない代表的な遺構である。昭和43年北海道有形文化財に指定

寿都

かつてのニシンの千石場所。寿都地区大磯町南側、岩崎町付近には数棟のニシン漁家や舟澗の遺構が残され、北海道有形文化財の歌棄佐藤家、橋本家や種前岡田家レンガ造倉庫など、ニシン盛漁期の遺構が残る。

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