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日枝大神(方田地区)

旧方田村の鎮守である。「由緒書」には、弘治3年(1557)勧請と記されている。境内に入ると、樅の大木と本殿の彫刻の見事さには圧倒される。この村は、こうした立派な本殿を造る敬神の念の深さばかりか、勤勉な村として近隣村々の模範とされていた。その謂は文化9年(1812)正月28日全戸が消失する火災があって、以来復興のために、村人全員が一丸となって努力したその慣わしは、現在に引き継がれている。

日枝大神(坂地区)

旧坂村の鎮守である。「起原記」には、永禄2年(1559)に創建されたと記されていて、そのうえ明治32年(1899)参謀本部が測量の障碍になると境内の木を切った。その保証金で銅屋根にした等、軍の実測年代も記録している。更に本殿裏には、地元生れの歌人で若水牧水の直弟子ともいわれた春翆(細野憲司)の歌碑がある。両者の親交の深さは「牧水全集」に載せられた多数の手紙等でも知られる。「露志免里ふかきがなか迩咲多連て秋能小草のみなうつくし貴」

松崎神社

旧東松崎村の鎮守である。社伝によると、このあたりが北条庄と呼ばれていた時代は、この庄の鎮守であった。勧請宝亀3年(772)旧称坂東稲荷本宮で郷社であった。坂上田村麻呂の祈願のことや、弘法大師が参拝の時に、社前に残した杖が「逆さ公孫樹」になったという話も伝えられている。60年毎に「神幸祭」が行われ、本殿は宝暦6年(1756)に再建されたと当時の「日記」に残されている。裏の前方後円墳は千葉県指定史跡で「北条塚古墳」という。

星宮大神(川島地区)

旧川島村の鎮守である。由緒には元和2年(1616)勧請とあって、もとは七島妙見と呼ばれていたとある。境内の灯籠等の奉納者には、伊勢松坂(三重県)江州(滋賀県)上州(群馬県)江戸小綱町茅場町等があって、絵馬は羽目板を埋め尽くしていた。この社には珍しい奉納物があって、羽子板に巻子を付けたもので天井に隙間なく貼り付けられていた。この繁栄は、この村に生れ江戸に住んだ鈴木勘左衛門、東暁と号した絵師の努力によるものと言われている。今は絵馬も羽子板も失われて、石造物だけがその時代を伝えている。

第六神社

旧南玉造村柏熊新田の鎮守である。「社寺台帳」には、熊野大神末社第六神社、祭神高皇産霊神、由緒不詳と記されている。しかし、この村は徳川時代多古藩松平家の領地になってから開発された村で、その歴史を記した古文書が残されている。開拓が完了した頃と思われる元禄13年(1700)正月9日、寺に住職が入山した当日に多古藩家老服部氏から、鎮守や第六天林も寺で支配するように命じられている。このことから考えると、鎮守様も寺と同じ頃に祀られたものであろう。

椿神社

旧南玉造村の鎮守である。「椿大明神略縁起」によると、明暦3年(1657)7月7日村に住む野平賀衛門のもとに降臨した霊像を祀ったものであると書かれている。また、寛政7年(1795)筑前(福岡県)黒田家の嫡子が、この社のご霊験により誕生したといわれ、そのご利益を称えて石碑も建てられている。

六所大神

旧中村の鎮守である。祭神は伊弉諾命(いざなぎのみこと)、伊弉冉命(いざなみのみこと)の夫婦神と、その子四神あわせて六神が祀られている。「神社明細帳」には由緒不詳とされているが、故波木宮司が書かれた「村社六所大神御記」には、承和年中(834〜847)物部匝瑳連が中村郷の郷社として創祀・・・・・と記している。村人の崇敬の年の深さは奉納物によって知られ、なかには延喜式と刻字されたものもある。その立証はできないが、参道を囲む老杉は十分にその雰囲気を持っている。

妙見神社

旧南中村高田集落の鎮守である。由緒については、昭和3年(1928)の区長の報告書に、寛永10年(1633)佐倉城主土井大炊頭が勧請と記されている。この地は、飯土井城跡ともいわれ、栗山川流域の水田を一望できる高地にあり、また周辺の堀跡等からもそれを思わせるものがある。本尊は30cmほどの木製座像で「巨栄山徳成寺開基飯土井城々主千葉大隈守胤貞公後徳院殿日叡大居士建武三年(1336)十一月二十九日遷化」の位牌と共に安置されている。

雷電神社

旧石成村の鎮守である。由緒について、寛文4年(1664)に書かれた「因縁記」には、大同2年(807)以来この地に鎭座していることから、村名も石成となったとある。雷を祭神とする珍しい社で、町内ではここだけである。もとよりこの村は戸数20戸ほどの村であったため、明治12年(1879)に隣村水戸村と合併して、村名を水戸村に改めた。

諏訪神社(千田地区)

旧千田村の鎮守である。由緒について「社寺明細帳」には、永承6年(1051)勧請、上・下総の境に鎭座、里俗境之宮と云、往古千田郷四十余村の鎮守・・・・・と書かれている。まさにその通りで、社に沿って南北に走る道路が、上総、下総、香取、山武、多古、芝山の国郡町の境になっている。そして村には、源頼朝公の仮屋の址等の伝説をいくつか伝え、隣村船越、牛尾の村の人々の先祖は、この村の出身者が多いと言われている。

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