観光地検索

全日本の観光地へ

1653 件の 63 ページ目 (0 秒)

愛宕山地藏院

真言宗智山派の寺である。所蔵の文書には由緒不詳となっているが、安政3年(1856)付で住ゆん覚玄に権大僧正免許之証が残されていて、その頃の隆盛さを偲ばせている。また境内の一隅にある欠けた板碑(石造卒塔婆)には永徳元年(1381)の刻字がある。昔、夜半に度々化物になったため、武士に切り付けられ欠けたところは、その時の切口だと言う伝説を持っている。

常照山光明寺

日蓮宗の寺である。由緒について「寺院明細帳」には、はじめは真言宗であったが、慶安元年(1648)に日蓮宗に改宗して、開基日忠開山日崇で、寺号も光明寺と改めたとある。境内には「妙正様」と呼ばれるお堂があって、明和3年(1766)に建てられた「疱瘡」の神様だと言われている。扁額には「千早ふる卯月八日は吉日よかみさけ虫の成敗ぞする」と書かれている。

借当山妙蓮寺

日蓮宗の寺である。由緒について「寺院明細帳」や寺伝を総合すると、はじめは北中村の淀にあって真言宗の大日堂であった。明応2年(1493)妙興寺四世日法人の教化によって日蓮宗に改宗、寺号も妙蓮寺と改めた。そして享禄元年(1528)にこの地に移ったと記されている。

和田山福現寺

日蓮宗の寺である。由緒について「寺院明細帳」には由緒不詳と記されているが、明治19年(1886)に村総代によって書かれた文書には、貞治2年(1363)創立となっている。内陣には祖師と並んで立派な薬師像があって、この尊は眼病に霊験が厚く、多くの信者を集めた時代があった。それを照明するかのように、本堂内には多くの絵馬と、境内には嘉永(1848〜1854)から明治までの刻字のある石造物が多い。また、境内からの眺めはさわやかさを感じる。

中道山妙観寺

日蓮宗の寺である。「寺院明細帳」には由緒不詳と記されているが、「過去帳」には開基日義聖人が万治2年(1659)に創立し、時に檀中三戸のみと記されている。さらに欄外に、宝永2年(1705)2月19日夜、檀林や西谷農家の火災の始終や、天明7年(1787)再度の檀林の火災が記録されている。境内にある天明2年(1782)の刻字のある石塔には、多くの聖人名だけが故意に削り取られていて、当時の不受布施派への弾圧の厳しさを物語っている。

延命山法光寺

日蓮宗の寺である。「由緒書」には450年前に、真言宗から日蓮宗に改宗したとだけで、詳しく記されていない。本堂右側の歴代住職墓石があり、その中でも一際大きいのが四十一世観貞尼が建てた供養碑である。この村に生まれた観定尼は、嫁いでから日露戦争で夫に戦士されて、菩堤を弔うため僧籍に入り、村雲御所の伏見宮日栄尼のもとで修業し、後に故郷のこの寺の住職になった。

寶成山妙高寺

日蓮宗の寺である。「由緒書」には、真言宗の寺であったが、文明8年(1476)日蓮宗に改宗したことがある。また「常磐村郷土誌」には、当村最古の寺院であるとの記録がある。日頼開基の寺院で山王権現の別当職たり・・・・・と書かれている。

法王山顕実寺

日蓮宗の寺である。寺の古文書には、大同3年(808)不思議法印が開山した真言宗であった。文永の頃、(1264〜1274)に、日蓮宗に改宗して檀林を開くが、禁制の不受布施派になって幕府の弾圧を受けた。そして再度受派に転じて水戸徳川家の被護を受けることとなった。それ故、寺宝として徳川光圀公の直筆の書状が所蔵されている。

妙法山正岳寺

日蓮宗の寺である。由緒によると、寛永が年(1624)大堀村(現匝瑳市)に創立され、元禄13年(1700)にこの地に移され、初代住職は日遣であったと記されている。多古藩家老服部与五左衛門が責任者で開発された所で、寺の運営についても一町歩余の水田が寺の所有地になっていた。これらのことに応えて、享保6年(1721)に服部氏の供養塔が境内に建てられている。

妙法山蓮華寺

日蓮宗の寺である。由緒には、健治年中(1275〜1277)には観音院という真言宗の寺であったが、弘安10年(1287)日蓮上人の弟子中老日位の教化によって、日蓮宗に改宗、寺号も改めた。応仁2年(1468)日意の代から、檀林として多くの学僧を集め、不受不施派を広めたが、五世能化日浣が弾圧を受けて流罪となり檀林は廃止された。安永9年(1780)には火災によって建物が失われ、天明元年(1781)に再興されたと記されている。

旅行情報