全日本の観光地へ
公開:9月〜4月8:30〜17:00 公開:5月〜8月8:30〜18:00 休業:無休
中国風の極彩色の楼門が鮮やかでひと際目をひく。境内はクスノキの巨木に囲まれ、約2200年前に不老長寿の薬を探しに来た徐福の墓や、徐福像、不老の池、7人の重臣の墓などがある。
新宮港の一画に設けられた公園で緑の遊園地、万葉の歌の歌碑等がある。
総合的な都市公園を目指し熊野文化活動の拠点として整備された公園である。
熊野速玉大社の摂社で、ご神体はごとびき岩と呼ばれる山上にある巨岩。
熊野三山の一社として全国に祀る数千社の熊野神社の総本宮です。夫須美・速玉の二神を祀り、社宝1,000余点を収める神宝館や天然記念物ナギの巨木があります。特に、孝謙天皇の御世、日本第一大霊験所の勅額を賜り、熊野三山の中でも逸早く『熊野権現』の称号を賜りました。
古代からの熊野の祭祀霊場。
徐福伝説と結びつけられている祭祀遺跡。阿須賀神社のご神体。
北は断崖で新宮川を眼下にし、東は太平洋を望み、南西部は堀を隔てて城下を見下ろす、という要害の地につくられた平山城であった。1618(元和4)年に浅野忠吉が築城に着手、1633(寛永10)年にほぼ完成、1667(寛文7)年水野重上のときに修復・拡大された。築城以前この山に丹鶴姫開基の東仙寺があったため丹鶴城と名付けたと伝える。代々水野氏三万五千石の居城としてつづいたが、明治維新で城は取り壊された。◎水野忠央(1814-65)江戸藩邸に生まれる。紀州藩新宮城主。幕末期、紀藩執政として幕閣に縦横画策、幼主菊千代(家茂)を将軍職に就かせる。のち幕府の政変により失脚。吉田松陰は忠央を評して「水野奸にして才あり、世すこぶるこれを恐る」という。『丹鶴叢書』158巻を編纂。
熊野古道中辺路コース中で、唯一海の見える道です。平成16年7月に世界遺産登録されました。
沼地に浮かぶ5,000平方mの植物の密生する島で暖寒両性の植物の群落がある点で学界の注目を浴びている