全日本の観光地へ
戦国武将大友宗麟はキリシタン大名として積極的に南蛮文化を導入し、臼杵にキリシタン遺跡が多い。カマボコ型と直方体型の2基があり,正面にクルスが刻まれている。
この塔は、弘安8年(1285年)に彫られたもので、整った姿の中に鎌倉時代の五輪塔としての重量感を感じさせるつくりとなっている。近くには県指定有形文化財の板碑があったり、石造物の残欠が散在していたり、且つ、地域の伝承では、周辺に法蔵寺という寺院があったと言われているため、寺院との関連も深いと考えられる。
凝灰岩でつくられており、基礎・塔身・笠・相輪の大石五個からなる。屋蓋四隅には、隅飾り突起がおかれているが、これは別の石でつくられており珍しい。総高4.09mで、刻み方、大きさにおいても、我が国最大のものである。基礎四面には、それぞれ二個の格狭間(こうざま)が刻まれ、厨子(ずし)形の塔身の内方底部には経巻でも納めたと思われる深い穴がある。相輪は、笠の中央部から少しずれているが、雄大・精巧で、塔全体のバランスは立派である。造立年代は、鎌倉時代中期頃と思われる。
大友宗麟が永禄年間に精舎を建立し、これを「西方寺」と号したが、参詣の便宜を図るため対岸の掛町まで大きな橋を架けたので、「大橋寺」と呼ばれるようになったと言われる。高麗門が珍しく、大友宗麟の夫人の墓がある。
その形が甲冑に身を固めた武人(頭部はつくられていない)に似ているところから、石甲とも短甲型石人とも呼ばれ、覆屋内に高さが1.5mほどの石人が二基並んで立っている。県指定史跡でもある臼塚古墳は、今から1500年以上前の古墳時代に築かれた全長87mの前方後円墳で、古代にこのあたり一帯を支配していた豪族「海人部(あまべ)」族の墳墓にあたる。そしてこの墳墓の上に立てられた石甲は、ここに葬られたものを守衛する番兵としての武人の役割を果たしていたと考えられる。
営業:月火水木金9:00〜15:00
営業:月火水木金10:00〜11:30 営業:月火水木金14:00〜16:00
市街地・臼杵湾の眺望。
豊後水道のリアス式海岸の展望とまわりの山並の眺望がすばらしく頂上には天間神社がある。