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波宝神社

銀峰山の頂上に鎮座する神功皇后所縁の神社で、毎年9月の第2日曜日には、西吉野の最大の秋祭り「岳まつり」でにぎわいます。荒御輿が繰り出し、普段は静かな山里もこの日は熱気に包まれます。

大善寺

朽ちかけた土塀に囲まれている。

草谷寺

営業:10:00〜17:00

五條文化博物館近くの金剛山の中腹の森の中にひっそりとたたずむ山岳寺院で、役小角(役行者)の草創と伝えます。本尊の薬師如来坐像は平安時代の作で、重要文化財。また北側の境内に収蔵庫が建てられ、多数の仏像が安置されています。要予約。

櫻井寺

天暦年間(947〜957年)、桜井康成の創建と伝えます。江戸時代末の文久3(1863)年、五條代官所を襲撃した天誅組は、この寺に本陣を構えました。境内には、討ち取った代官の首を洗ったという手水鉢があります。また、赤根屋半七と笠屋三勝の比翼塚も。

金剛寺

営業:9:00〜17:00 営業:9:00〜16:00冬期

承安年間(1171〜1175年)、平重盛の創建と伝えます。本尊は薬師如来坐像。花の寺としても知られ、毎年4月下旬〜5月中旬にはぼたん祭り、10月下旬〜11月上旬には菊薬師と小菊まつりが開かれます。

榮山寺

営業:9:00〜16:00 休業:9:00〜17:00夏期

養老3(719)年、藤原武智麻呂が創建したとされ、その子の仲麻呂が八角堂を建立しました。吉野川の深淵音無川の北岸の景勝地は、南朝の長慶天皇はじめ3代の行宮ともなりました。八角堂と梵鐘は国宝、八角堂内陣装飾画、本尊の薬師如来坐像などは重要文化財。

新町通り

五條新町は,奈良県の南西部にある五條市の中心市街地に位置し,中世に起源をもつ「五條村」と,慶長13年(1608)に二見城主松倉重政が二見村の一部に振興策として建設した城下町の「新町」から成ります。江戸時代には天領となり宿場町から市場町,商家町に移り変わり,その繁栄は昭和初期まで続きました。現在でも,国の重要文化財で慶長12年(1607)の棟札を確認できる日本最古の町家「栗山家住宅」をはじめ,江戸時代から4世紀に渡る伝統的な町並みが続いています。「五條」の地名の由来とも言われている旧紀州街道,伊勢街道,西熊野街道,河内街道,下街道の五つの街道が交わり,地区の南側には,大台ケ原を源とする清流吉野川が流れる陸運と水運の要衝として,古くから栄えた地区です。優れた町並みの意匠が評価され,平成22年(2010)12月,五條新町は全国第88番目の国の重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)に選定されました。

民俗資料館(長屋門)

休館:月午前10時から午後4時までただし、各室の時間外使用についてはご相談ください毎週月曜日(祝祭日にあたる場合は翌日)年末年始(12月25日〜1月5日)

この資料館は、江戸末期には五條代官所の長屋門だった建物です。現在の五條市役所のある場所に建っていたもとの代官所は、文久3年(1863)におこった天誅組大和義挙の際に焼き討ちにあい、元治元年(1864)10月、現在奈良地方裁判所五條支部のあるところに幕府があらたに代官所を立て直したのでした。明治維新の後、代官所は五條県庁に引き継がれ、一時警察大屯所などに利用されていましたが、明治10年に五條区裁判所となり現在に至っています。裁判所の改築の際、正門である長屋門と広場を五條市が譲り受け、広場を史跡公園、長屋門を民俗資料館として整備しました。しかし、長い間市民の憩いの場、学習の場として親しまれてきた資料館は、老朽化が進み閉館となっていました。平成15年9月、明治維新のさきがけといわれる天誅組義挙から140年を迎えるにあたり、国のために己を捨てて尽くした若き志士たちを讃えるとともに、図らずもその犠牲となった人々を追悼し、わたしたちのまち五條市でおこった重大な史実を語り継ぐため、史跡公園及び長屋門を再整備しました。長屋門は天誅組の足どりやゆかりの地などの資料が展示された資料館としてあらたにうまれかわり、五條市の歴史に触れていただけるほか、研修会等にもご利用いただけます。

賀名生の里歴史民俗資料館

開館時間:9:00〜17:00入館は4時30分まで 休館日:月毎週月曜日と祝日の翌日及び年末年始

賀名生の里歴史民俗資料館は、南朝三帝ゆかりの賀名生皇居跡や奈良県の三大梅林の一つである賀名生梅林と隣接しており、周辺の自然環境と調和した中で西吉野地区の歴史や文化を紹介しています。 館内には南朝関係資料はもちろんのこと、民俗資料も多数展示されており、長い歴史に育まれた文化を通して、山里に生きた人びとの知恵や技術、くらしの形などを見て、楽しみながら学習することができます。 また、資料館には研修施設である伝承館が併設され、歴史講座や講演会などが催されており文化教育の活動拠点となっています。 周辺には賀名生皇居跡や波宝神社・天然記念物のフクジュソウなどの文化財、北畠親房公墓や黒木御所跡などの史跡があり、散策や観光など様々な情報も提供しています。

五新鉄道

大正時代に五條〜新宮を結ぶ五新鉄道が計画された。当初から難工事が予想されたが、昭和の初めに五條側から着工され、太平洋戦争で中断する時期もあったが、少しずつ工事が進められてきた。しかし車社会になってその必要性が薄れ、すでにできあがっていた五條〜城戸(旧西吉野村)までをJRバス専用道として利用される時代が20年ほど続いた。そして坂本(旧大塔村)まで延長する工事が、なお続けられた。この先は長大トンネルと橋梁の最大の難工事区間で城戸からの1つめのトンネルは完成させたものの、2つめの天辻トンネルの工事中にとうとう取り止められることになった。今は奈良交通のバスが朝夕1〜2便、専用道を走るだけになってしまった。「五新鉄道」を題材にした、河瀬直美監督・映画「萌の朱雀」が、カンヌ映画祭・カメラドール(最優秀新人監督賞)を受賞しました。これにより、鉄道ファン以外にも、広く「五新鉄道」の名前が、知られるようになりました。

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