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今出川清水

広島市に隣接する府中町の住宅街,石井城地区に湧く水。南を流れる榎川上流の水分峡の伏流水で,水天宮を祭る岩の下から,四季枯れることなく常温17度の水が湧き出している。日本名水百選。※平成24年、付近の湧水と名称が入れ替わっているとして、訂正がありました。

田所明神社

飽速玉命を主祭神に七柱の神を守護神として祀る。大正5年(1916年)に国庁神社(厳島遥拝所)、槻瀬明神、大黒社を合祀して、田所明神社として現在地に建立。田所氏は奈良時代以前の安芸国造であった飽速玉命の出自(姓佐伯氏)と伝え、佐伯氏は国司制度が確立してからは佐伯郡司に任命され、また厳島明神・芸州国府八幡祭祀のときは国府泰幣使代も務めたという。平安時代の初め頃田所氏(田所氏は姓を佐伯のほか三宅、石井とも称し、平安期の職名「田所」を本姓としたと伝える)は五日市から府中に移り、以後国府の在庁官人として安芸国の政治を掌るとともに、厳島神社の厳島国府上卿として祭主も務めた。今の石井城跡の地に広大な屋敷を有し延久4年(1072年)に国庁神社を建立、朝夕長官をはじめ約40人の所従が厳島の方向に向かって礼拝していたという。元禄3年(1690年)に現在の地に移り(芸州厳島絵図に明神殿は厳島遥拝所と記されている。)、現在の社殿は平成10年(1998年)再建。明神祭、秋季例大祭をはじめ月次祭などが執り行われている。

道隆寺

寺の付近から古瓦や骨壷、古仏像の破片が出土し、寺歴の古さを物語っている。本尊薬師如来坐像は県の重文。

石井城跡

鎌倉時代末から南北朝時代初期にかけての、田所氏の一族石井氏の拠城跡と伝えられ、現在城郭らしい遺構は明瞭には残っていないが、城山の頂部に石井七郎末忠の碑が建立されている。末忠は元弘3年(1333年)後醍醐天皇の綸旨を受けて伯耆船上山(鳥取県赤碕町)に馳せ転戦したが、延元元年(1336年)摂津湊川(兵庫県神戸市)の戦いで足利尊氏の軍勢と戦い、楠木正成とともに戦死したといわれている。周辺には城山北・南端貝塚や石井城貝塚など古代から中世のものと思われる小規模な貝塚が点在し、中世の土器片も出土している。

水分峡

豊かな自然と渓谷美を保ち四季を通じて楽しめ春や秋にはハイキング夏には,キャンプなどでにぎわう。

江田島市学びの館

開館:9:30〜16:30 休館:火 休館:祝祭日,年末年始(12月28日〜1月4日)

夢来来

営業時間:日土祝10:00〜19:00平日については,予約があれば開園します。

「定住希望者や観光に来られた人が交流し,気軽に立ち寄れるような場所を作りた」。そんな思いから,本市沖美町是長四郎五郎の地にNPO法人「ブリコラージュ江田島」が展望台やウッドデッキを作製し,荒れた耕地から手作りで市民と移住者が交流できるゾーン「夢来来」を整備しました。瀬戸内の多島美のパノラマが広がる圏内に一歩足を踏み入れると,波穏やかで陽光きらめく風光明媚な海と,緑鮮やかな大小の島々が織りなす心やすらぐ瀬戸内の風景が出迎えてくれます。都会の喧騒を離れ,幻想の世界が広がります。

尼子三兄弟ゆかりの墓

戦国時代、尼子・毛利両氏の攻防の結果、永禄9年(1566)尼子氏が降服、義久・倫久・秀久の三兄弟は長田の円明寺に幽閉されて20年間もこの地で過ごしたと伝えられています。しかし、三兄弟はのちに長州に移って没しており、この墓は三兄弟に随従してきた重臣の墓と思われます。

滝の観音

向原町戸島にある絶壁の上に建つ瀧山の観音堂,通称「瀧の観音」は安芸33番札所の第17番で、正式な名称は「滝悩山円浄寺如意輪堂」といい、天正16年(1588)10月18日福原出羽守貞俊建立の棟札があります。堂の左峰より谷川に高さ10mの瀧があり、「観音の瀧」と呼ばれています。

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