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文豪幸田露伴は下谷の生まれで、明治21年処女作「露団々」を発表して文学生活に入りました。明治26年長兄を頼って寺島へ来住し、以来大正13年までの約30年間この地に住むことになります。この間「枕頭山水」「五重塔」「風流微塵蔵」など広い分野で多くの作品を残し、現在露伴児童遊園となっている蝸牛庵の庭で門弟たちと剣道や弓・相撲などを楽しんだといいます。
遊歩道を主としたリバーサイドパーク。旧墨堤だが川面は見えない。
旧吉良邸跡地を公園としたもの。なまこ壁が往時をしのばせる。
ナイター設備のある野球場・プ-ル・テニスコートや休憩広場、体育館があるスポーツ広場。
その他:8:30〜16:30開園時間 休業:年末年始
江戸時代、丹後宮津藩主本庄因幡守の屋敷跡で安政年間(1854〜60)に隅田川の水を引いて潮入回遊式庭園として築庭された。心字池を中心に老樹がよく茂り、かつて隅田川から引いていた水も現在は地下に水槽を作り、人工的に干満を行い、潮入りを再現できる。
営業時間:9:00〜17:00入園は16:30まで 休業:年末年始
江戸の町人文化が花開いた文化・文政期、骨董商で財を成した佐原鞠塢が交流のあった文人墨客の協力を得て開園。現在に唯一残る「江戸の花園」で四季折々の草花観賞が楽しめる。また江戸期より伝わる伝統行事「虫ききの会」「月見の会」や「萩まつり」が有名。隅田七福神の「福禄寿」を祀る。
一帯は1693(元禄6)年水戸藩が浜屋敷の代替地として幕府からもらった敷地の一部。現在は池を中心とした庭園の一部が残されており,そばに昭和13年に建てられた“水戸徳川邸旧跡”の石碑が立っている。また庭園の一隅には,1844(弘化元)年ここに蟄居させられていた藤田東湖が綴った正気歌の碑がある。
木母寺は中世の「梅若伝説」ゆかりの寺で開基は古く、平安の中ごろとされています。平安中期、吉田少将惟房の子「梅若丸」が人買いにかどわかされ、関東に下る途中病気になり、隅田川のほとりで「たずね来てとわばこたえよみやこどりすみだ河原の露と消えぬと」の一首を残し、十二歳で世を去りました。来あわせた天台宗の高僧忠円阿闍梨が梅若のために塚を築き柳の木を植えて供養したといいます。境内には梅若塚をはじめ石碑も多く、浄瑠璃塚や歌曲「隅田川」の碑などがあります。