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御鷹場の碑

徳川家康をはじめ代々の江戸幕府の将軍は、鷹をつかって野鳥や兎などを獲らえる「鷹狩」を行い、井の頭周辺にもたびたび来ている。江戸城を中心に5里(20キロメートル)以内は幕府の鷹場で、これより西が尾張徳川家の鷹場。三鷹はその境界にあり、「従是東西北尾張殿鷹場」などの文字が刻まれた境界を示す標石が、明和7(1770)年ごろに建てられた。現在、市役所南側の雑木林内、大沢の長久寺境内、野崎の吉野家門前に各1本ずつがある(移設されたもので、原位置は定かではない)。ちなみに、「三鷹」という地名は、明治22(1889)年に、野方・世田谷・府中の3領に分かれていた鷹場の10の村々が合併したことから名づけられたという。

八幡大神社「すだじぃ」

八幡大神社社殿の左側に御神木がある。目通り幹周り3.62m、樹高17mで三鷹市内の社寺にあるシイでは最大のものであり、市の文化財(天然記念物)に指定されている。このシイ(ぶな科)はスダジイという名をもつ。暖地の山野に自生する常緑高木である。したがって人手の加えられなかった昔は、スダジイやシラカシを主体とした照葉樹林に覆われていたものと思われるが、この木は独立樹のため栽植されたものかもしれない。樹勢も盛んな大木で禅林寺の「いちょう」とともに、三鷹市には数少ない天然記念物として大変貴重である。さらに、この境内にはシラカシ、ケヤキの大木、サクラの老木の並木、社殿裏手にはクヌギ林などが保護されており、三鷹市の昔の面影を考える上でも貴重な森である。

三鷹事件遭難者慰霊碑

禅林寺墓地の奥の方にある、高さ210cmの平板形の碑。昭和24(1949)年7月、三鷹駅構内で起こった無人電車暴走事件の遭難者6人の慰霊碑である。昭和30(1955)年9月25日に有志、篤志家によって建立されたものである。

柴田勝重の墓

織田信長の死後、柴田勝家が豊臣秀吉に滅ぼされた後、孫の勝重は成人すると徳川家康に仕えた。そして、上仙川・中仙川の地を与えられた。今の新川団地のところに勝重の陣屋があったと、『新編武蔵風土記稿』などに記される。この地は島屋敷遺跡と呼ばれ、団地の建替工事に伴い発掘調査が行われた。80年ほどで柴田家の仙川の知行は終わり、以後は幕府の直轄地となる。勝重は、寛永9(1632)年、52歳で病死。春清寺墓地には宝篋印塔型の雄大な墓がある。法名は「揚源院殿雄山浄英居士」である。また、十世勝房が寛政8(1796)年に建立した柴田家の由緒を記した碑もある。なお、新川の勝淵神社境内には勝重が勝家の兜を祀ったという塚がある。

三木露風の墓

詩人・三木露風は、昭和3(1928)年に牟礼の地に移り住んだ。転居当時は桑畑や雑木林が広がる閑静な地であった。ここに建てた家は「遠霞荘」と名付けられた。この家は老朽化したために建替られているが、庭に残る樹木の一部は今も当時の面影を残している。晩年、三鷹の地でひそかに詩を書きつづけた露風は、三鷹市制5周年をたたえ、昭和31(1956)年元旦に「新年の詩」を贈り、また、昭和39(1964)年には高山小学校校歌を作詞している。作曲は露風自らの考えで近衛秀麿に依頼し、同氏の指揮により披露された。墓所は、牟礼にある大盛寺墓地内。また、平成21(2009)年、三鷹台団地に「あかとんぼ児童遊園」が作られた。入り口の童謡「赤とんぼ」の歌碑が置かれている。

丸池の里

勝淵神社の南に「丸池公園」がある。ここが湧水池「丸池」の名残り。千釜ともよばれ、文字どおり釜の形のように川床に大きな湧水の吹き出し口が多数あった所。また、下流にやはり大きな「門前釜」があったという。これらの湧水群は、昭和46(1971)年頃には埋め立てられ、また河川改修によっても昔日の面影はない。しかし、平成6年から東京都と三鷹市により「丸池」の復活計画がスタートした。市では雨水浸透枡の設置を進める一方、地域住民参加のワークショップ形式でのプランづくりが着々と進められた。それに先駆け、新川天神山青少年広場に樋口取水場が設けられ、1日1万トンの湧水のうち3千トンをここで汲み上げ、上流の「野川宿橋」から流している。現在のその清流は、平成元年完成の「仙川公園」の水辺空間を創出しながら、仙川の再生を願う人たちのもとに流れている。

農業公園

営業時間:9:00〜17:00JA東京むさし三鷹緑化センター休園日:毎月月末(月末が土日祝日の際は前日の平日)・夏季・年末年始

市民が農業について学び、自然と触れ合う体験の場として平成16(2004)年にオープンした農業公園。実際に作付けから収穫までできる「体験農園」や、野菜や植木の手入れの講習を行う「実習農園」、バーベキューなどができる「自由広場」、見本庭園の「ガーデニングエリア」から構成される。関係団体と公募市民が協働で、様々な事業を展開しているのが特徴となっている。公園内のJA東京むさし三鷹緑化センターでは、地域の農家が育てた植木、花、野菜やガーデニング用品などが購入できる。

仙川公園

三鷹市内最大の都市公園である仙川公園は、面積約11,000平方mを有している。仙川を挟んで南北の2つに別れ、長久保、長嶋橋でつながっている。植栽が多く緑豊かな印象である。南側には、井の頭自然文化園にある北村西望彫刻館・アトリエでも見られる平和祈念像が、ここではやや小形な像だが建立されている。北側の芝生の広場には噴水池があり、せせらぎが聞こえる。やや下流の天神山青少年広場の樋口取水場からの地下水を汲み上げ、安らぎの水辺空間を創出している。

牟礼の里公園

昔ながらのふるさとの農風景を保全した公園。市内で一番標高の高い所に位置し、冬の晴れた日には雪をかぶった富士山を望むことができる。近隣住民の憩いの場として活用されており、秋にはふれあい祭りが開かれる。

遺跡調査会事務所

休館:日土祝 見学:9:30〜16:30要予約 休館:12月28日〜1月4日

三鷹市教育委員会では、文化財保護事業の一つである埋蔵文化財つまり遺跡の発掘調査・整理・研究・保存の事業を三鷹市遺跡調査会と共に進めている。新川にある拠点事務所では、発掘調査による出土品や写真・図面・デジタルデータなどの整理作業が行われれている。市立第五中学校の建設に先立って発掘調査されて以降、特に昭和53(1978)年以来、市内で発掘調査されたおよそ20万点の遺物がここで収蔵・保管されている。事務所の一室を展示室とし、市内から出土した遺物を主に調査時の記録写真、解説図などを展示している。東京都指定の大沢・出山遺跡発見の注口土器もここで見ることができる。市内で発見例の多い横穴墓の玄室部の実大レプリカ(一部)や速報コーナーも見所。別棟の収蔵庫では、特に完全(形)土器だけのコーナーを設け収蔵展示が行われている。これらの展示室は常時公開しているが、見学やガイド付にあたっては、事前の電話連絡が必要。

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