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三鷹産業プラザ

定休日:お店によって異なる

三鷹産業プラザは、地域の産業振興の拠点として平成12(2000)年4月にオープンした。オフィスエリアと商業エリアに分かれている。オフィスエリアには、三鷹市のまちづくりを進めるための第3セクターとして設立された「株式会社まちづくり三鷹」のオフィスが入っている他、三鷹市が進める「SOHOCITYみたか」構想のもと、貸し出し用SOHOオフィスが設置されている。また工業者のための精密測定室や地域・ビジネス情報コーナー、会議室などの設備が整っている。平成15(2003)年に増設された商業エリアには、飲食、物販関係の店舗のほか、IT研修室などがある。

三鷹市美術ギャラリー

営業時間:10:00〜20:00 休業日:月その他不定期

平成5年、「人にやさしいまちづくり」のための文化ネットワークの一環として、駅前商業棟CORAL(コラル)5階に開館。駅前すぐという立地に加え、午後8時まで開館するなど、職場帰りの社会人にも利用しやすい工夫がなされている。施設内部には大きな窓から外光があふれ、柔らかい色の荒い石壁が、見学者を入り口に自然に誘導するように曲線を描いている。主に近現代美術をテーマとした企画展とともに、展示スペースの貸し出しも行っており市民の芸術作品の発表の場にもなっている。

国際基督教大学博物館湯浅八郎記念館

開館時間:10:00〜17:00土曜日は16:30まで 休館日:日月祝3月、7月、8月の土曜日・展示替え期間中・夏期休暇中および年末年始

I.C.U.(国際基督教大学)は、アメリカをはじめとする国際的キリスト教徒によって、昭和24(1949)年に創立された大学。広大なキャンパスには武蔵野の雑木林がそのまま残っており、緑が美しい。中でも正門から教会までの桜並木は実に見事である。記念館は、2つ目のロータリーを右にまわり約300m先にある。初代学長・故湯浅八郎博士の大学創設・育成に対する貢献を記念して昭和57(1982)年開館。延床面積1,414平方m。展示は、湯浅八郎博士収集の陶器や染織などの民芸品と同大学構内や周辺地域から出土した旧石器〜縄文時代を中心とした考古学資料が中心の常設展示。そして年3〜4回の特別展がある。いずれも一般公開。公開講座も行われている。

中近東文化センター

休館日:日木土祝展示品観覧・図書閲覧は、事前にお電話でご相談ください。ご連絡・ご予約は開館日の10:00〜17:00にお願いします。年末年始休有り。

中近東の歴史的文化を専門に研究し、公開する施設。三笠宮崇仁親王殿下のご発意のもと、故出光佐三氏の協力で出光美術館収蔵のオリエント美術品を移して昭和54(1979)年開館。平成元(1989)年には増築工事を行い、地上2階、地下3階、延床面積7,022m2となる。展示室・図書室・大ホール・研究室・収蔵庫などで構成されている。一般公開されているのは展示室である。土器・金属器・ガラス器・象牙製品・文字(粘土板)・エジプト文字・陶器・照明器・布・装身具・写本等。図書室は会員制で閲覧・コピーサービス等が受けられる。海外から中近東研究者が来日した時などに行う公開講演会(一般向け)なども開かれている。なお、1階受付では、企画展カタログや研究報告書、絵はがき等が頒布されている。

杵築大社の富士山

明治14年(1881)5月、境村をはじめ、遠く埼玉県安松村(現所沢市)を含む近隣22町村の丸嘉講の協力により作られたものです。富士講は富士山に対する山岳信仰の一種で、江戸時代から明治初期に普及したもので、それとともに信仰登山がさかんにおこなわれるようになりました。

境南町の庚申塔

宝暦2年(1752)に建てられました。正面には更新橋の庚申塔と同じ青面金剛像が刻まれ、左に太陽、右に三日月が彫られ、下に悪鬼を踏まえ、さらに使者としての三猿が彫られています。

更新橋の庚申塔

安永4年(1775)の建立で、練馬区関町との境にある更新橋のふもとの小祠に安置されています。正面には青面金剛の忿怒相が刻まれています。「更新」が「庚申」の誤記であるかどうかは定かではありません。

稲荷神社の絵馬

嘉永5年(1852)から大正末期頃までのもので、この間に盛んに奉納されたと思われる。現在総数35枚が保存されています。絵馬は家内安全・夫婦和合を表したものが多く、庶民の神仏に対する祈願の内容がよく表れています。(非公開)

武蔵野八幡宮の蕨手刀

昭和3年(1928)境内の大ケヤキの根元から出土したといわれています。現存長さ63cm、最大身幅4.3cm、厚さ0.5cmで、外装を失い鍔は錆びている。製作年代は7世紀末から8世紀頃と考えられています。(非公開)

安養寺の甲辛(庚申)供養塔

寛文5年(1665)の建立で、当市内で最も古い庚申塔です。庚申塔に女性の名が刻まれていたり、主尊に文字で阿弥陀仏を表すなど、当地方では珍しいものです。また、これには吉祥寺村の開発に従事した人々のうち10人の名前が銘記されています。なお、刻銘のうち「甲辛」は「庚申」、「阿弥施」は「阿弥陀」のそれぞれ誤記であると考えられる。

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