全日本の観光地へ
営業:8:00〜19:00デイキャンプのみ
湖南アルプスの麓にあるキャンプ場で社会教育団体・デイキャンプ専用です。
駐車場、テントサイトやバンガローなども完備。渓流をたどりながらの自然探訪、山頂の奇岩、怪岩群を巡る軽登山、さらに磨崖仏や逆さ観音、明治初期に建設されたオランダ堰堤などの歴史的施設や透水堰堤など最新治山施設が点在し、変化に富んだ森林レクリェーションを満喫できます。
古今和歌集の代表歌人であり、『土佐日記』の作者としても名高い紀貫之の墓が、比叡山の中腹にひっそりと建っています。坂本ケーブルの「もたて山駅」から南に300mのところにあります。生前、この地から見える琵琶湖の風景をこよなく愛し、没後はここに葬ってほしいと願っていたと伝わっています。
関蝉丸神社下社の境内裏手にある塚。平安時代の歌人で六歌仙の一人である小野小町の塚ともいわれており、晩年の小町が逢坂山の関寺の近くに隠れ住んだという伝説により建てられたといわれています。百人一首でお馴染みの「花のいろは・・・」の歌も刻まれています。
その他:京都市水道局の敷地内のため見学不可
琵琶湖周航歌碑は旧制三高(京大教養学部)のボート部員によって広められた愛唱歌。昭和48年に第三高校働濤会によって建立された歌碑は、縦2.2m、横3.5mの自然石に大きく白文字で「われは湖の子」と2行に刻まれています。また、2mほど離れたところに6番までの歌詞が書かれた副碑がりますが、現状非公開です。
木曽義仲の乳兄弟で、義仲とともに源頼朝軍と戦った平安時代後期の武将・今井兼平の墓。寿永3年(1184年)粟津の合戦で敗れて戦死した義仲の後を追い、自ら刀を口に逆立てて馬から飛び降りたという話は、謡曲「兼平」の題材となって伝えられています。現在の墓は今井家末裔により建てられたもので、もとは兼平を尊敬した膳所藩主・本多俊次が建立した墓でした。
石山寺のすぐそばにあり、多目的グラウンド、テニスコートがあります。
営業:8:00〜17:00 休業:無休
善法院は、三井寺の三内寺院のひとつだった寺。その庭園は国の名勝指定を受けた名園で、昭和16年の集中豪雨による山津波で埋没してしまいましたが、近年の発掘調査によって全貌が明らかとなりました。
忠臣蔵で有名な大石家発祥の地で菩提寺でもあります。境内の山手に大石家の屋敷跡があり、大石家代々の墓や四十七士の位牌も奉られています。
堂内には釈迦の高弟500人をかたどった色鮮やかな五百羅漢が整然と並び、その中央に快慶作の本尊・釈迦如来坐像が安置されています。