観光地検索

全日本の観光地へ

1782 件の 77 ページ目 (0.005 秒)

田原坂資料館

公開:9:00〜17:00入館は16:30まで 休業:月月曜(祝日の場合は翌日)・12月29日〜1月3日

明治10年3月、官軍・薩軍が17昼夜にわたって死闘を繰り広げた田原坂は、現在桜やツツジの名所として親しまれる美しい公園となっています。慰霊塔や資料館が建ち、弾痕の生々しい家が復元され、当時の面影を残しています。田原坂資料館には当時使用された銃や、写真、遺品、模型の大砲など150点余が展示。パネルやビデオでリアルに戦の様子を知ることができます。また近くには300余の墓碑が建つ七本官軍基地や薩軍墓地があります。

七本官軍墓地

休業:無休

西南戦争で戦死した約300名の官軍兵士の墓があります。

田原坂公園

春には桜、ツツジの名所として知られ、西南戦争の激戦を物語る数々の史跡があり、歴史散策にはとっておきの史跡公園となっています。

小野泉水公園

平安時代の女流歌人、小野小町ゆかりの泉水。父の小野良実がこの地に流罪になったときに小町が生まれ、泉水の水を産湯につかったという伝説が残っています。池のほとりには小町像が安置される小町堂、その横には小町が詠んだ「花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」の歌碑が建立されています。また、公園内には小川が流れ、夏は蛍が飛びかいます。子どもたちが楽しめる遊具もそろっています。

瑞泉寺(味取観音堂)

平尾山のふもとに建つ瑞泉寺(味取観音寺)は曹洞宗のお寺です。種田山頭火は大正14年から1年2ヶ月、ここで堂守をつとめました。観音寺の入口に「松はみな枝垂れて南無観世音」の句碑と、山頭火の石像が建ち、一笠一杖姿の山頭火も登り降りした石段と境内は当時の面影をしのばせています。

史跡田原坂

植木町の西方、明治10年西南の役の激戦地で慰霊塔が建つ。一帯は公園化され、春は桜・つつじの名所として知られ、資料館がある。

小野泉水

休業:無休

小野小町の産湯の池。

熊本県立装飾古墳館

開館:日火水木金土祝9:30〜17:15 休館:月祝日の場合は翌日12月25日〜1月4日

国内の1/5の装飾古墳がある菊池川流域。ここは装飾古墳密集地にある国内初の装飾古墳専門の博物館。敷地は県北部に位置し、周辺には墳丘の姿、形の美しさとも日本で屈指の前方後円墳である双子塚古墳を有する岩原古墳群が散在している。この博物館は、単なる展示のためだけの建築としてではなく、古墳群と周辺環境をも、一体として見せようとする環境博物館である。そのため、建物を古墳群が一望できるような基壇として考えられた。来館者は、駐車場に降り、木立の中の昇り坂の沿道を歩いて、建物へたどり着く。ウォーターカーテンの横を抜け、屋外階段を昇ると、視界一杯に緑の中の古墳群がひろがる。人々は、この場所で、過去から現在へと続く雄大な時間の流れを感じることであろう。建築家は世界的に有名な安藤忠雄氏。

康平寺

見学:日火水木金土9:00〜16:00

康平寺は、11世紀中頃、後冷泉天皇の康平元年(1058)、真堂浦(現在の霜野地域)に建立された天台宗の山岳密教寺院です。「肥後国誌」によると、「康平元年の創建ゆえに康平寺と名付けられ、四方の谷に四つの法塔と九十九院があり、四明が岳の頂に鐘楼をもち、一山の宗が本堂に集まり読経勤行し、多くの寺領を有した」とあることから、天台宗の一大山岳寺院であったと言われています。本堂(本尊を安置している所)や、講堂(主に講義や説教を行う所)、庫裡(寺の事務所)など、真堂浦にはたくさんの建物がありました。また、昔は、旧山内村を霜野村と言い、康平寺の領地だった時代もありました。その霜野村のあちこちに、九十九院(僧侶の住まい)がありました。さらに、真堂浦の本堂から、東西南北に2キロずつ離れて、4つの法塔(康平寺の付属の寺)があり、現在残っているのは、北谷の長福寺だけです。康平寺では、たくさんの僧侶が、山岳修行と学問と祈祷を行っていたと言われています。康平寺は平安時代の後半に建てられましたが、一番栄えたのは鎌倉時代の後半で、現在残っている「千手千眼観音菩薩」や「二十八部衆像」は、鎌倉時代の作です。

岩原古墳群

主墳の双子塚古墳は全長107m・後円部の径57m・高さ9mの前方後円墳。付近には、古墳をはじめ石棺も数多く発見されており、一帯は、古代の一大墓所であったと思われる。(国指定史跡)

旅行情報