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大分廃寺塔跡

大分集落の南東の水田にその跡が残る。国の史跡。

内野宿

かつて長崎街道の宿場町として大きな繁栄を誇った筑前六宿のひとつで、当時の面影を比較的よく残している。慶長17年(1612)に毛利但馬が土豪内野太郎左衛門の協力を得て開設したとされている。しかし明治初頭頃は旅篭屋は8軒を数えるにすぎず、かわって商家が軒を並べていた。現代、質屋を業とし、文政年間(1818-30)の建築物として主屋を持つ小倉屋をはじめ、古い町家が幾つか残されている。平成16年度より、訪れた方への休憩施設として、友遊館「長崎屋」が開館しました。

三郡山

山頂からの展望がすばらしく北〜東には筑豊一円、英彦山、香春岳、古処山が見え、西には博多湾、玄海灘、南には、筑後平野と九重、雲仙の山々を見ることができる。登山口にキャンプ場“サンビレッジ茜”があり、道中に白糸の滝を見ることができる。

母里太兵衛の墓

福島政則から名槍「日本号」を飲み取り、黒田節にも歌われた人物。通称太兵衛は正式には母里但馬友信といい、聖寿山麟翁寺境内に墓がある。酒造蔵が軒を連ねているこの町らしく、いつも酒が供えられている。

麟翁寺

聖寿山と号し曹洞宗永泉寺末で本尊は釈迦牟尼仏。境内の広さ約1.386平方メートル。建物は本堂、庫裡、大師堂、文殊堂、観世音堂、鐘楼、納骨堂。当時は天正年間(1573-91)黒田藩の家臣後藤又兵衛基次が当地を去った後しばらく廃寺となっていたが、母里但馬守友信が当地を領し益富城主となった。友信は元和元年6月6日に死去、これを永忠寺の廃寺に埋葬。友信の嗣子左近が一宇を建立し、その霊を祭り、当寺の開基とし永泉寺の文叟を請して開山とした。友信の追号を麟翁といったので、寺号を「聖寿山麟翁寺」と改めた。

鮭神社

毎年12月13日には献鮭祭が行われる。祭神は彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)、鵜がや草萱不合尊(うがやふきあえずのみこと)、豊玉姫尊。例祭は11月13日。境内に楠の大樹(夫婦楠)が亭々と聳えている。社伝によると毎年11月13日の祭日には、必ず鮭が神の使いとして遠賀川河口、芦屋の海から十二里余を遡って社辺の川までのぼってきた。その年は豊饒であったという。氏子の人々は鮭を神の使徒として崇めたという。現在においても、ここの人々は鮭を食べない習慣があるという。

山野の石像群(五百羅漢)

350体余りの石像がたち並んでいる。

石造三重塔・阿弥陀如来石仏(通称正平塔・正平仏)

石造三重塔(正平塔)、阿弥陀如来石仏(正平仏)には南北朝時代の年号「正平八年」が刻まれている。その隣には、さらに古いといわれる十一面観音石仏がある。

三郎丸の大樟

樹高15m胸高幹回り4.3mで、いたずら河童をこの木に結びつけ、こらしめたという話がある。

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