全日本の観光地へ
幹周が県一、12m。樹令約400年以上。
公開:10:00〜16:00 休業:月火水国民の祝日・年末年始・8月、11月は月曜のみ休館
玉村町文化センター内にあり、「通史展示」、「日光例幣使道と玉村町」を主要常設展示した資料館。企画展、特別展も開かれます。玉村町の歴史文化財のビジュアル案内所として訪れる人が多く、その他、歴史講座や体験学習なども行っています。
本殿は国指定重要文化財,随神門や社殿には風格がある。玉村町は古代、上野国でいち早く開けたところでした。100を超える古墳が見つかっています。平安時代には、伊勢神宮の神領であることを示す玉村御厨(みくりや)も設けられました。ところが、地の利のよいことが災いして、戦国時代には諸大名の争いの場となり、すっかり荒れ果ててしまいました。それを復活させたのが、滝川用水の清らかな流れでした。関東地方を支配した徳川氏は、地方の開発に乗り出します。そのとき関東郡代(関東の代官)となった伊奈備前守忠次(いなびぜんのかみただつぐ)は、このあたりの荒地を開拓しようと、前橋の総社まで引かれていた天狗岩用水をはるばる玉村まで延長しました。大変な難工事で完成は慶長15年(1610)のことでした。この滝川用水によって、今の玉村町の中心部である上新田・下新田が開かれ、集落がつくられたのです。忠次は、着工したときに祈願した角渕八幡宮を新しい住民の心のよりどころにしようと、上新田と下新田の中間に遷座したといわれています。これが今の玉村八幡宮です。
休館日:○毎月第1・第3火曜日(ただし祝祭日の場合は翌日)○年末年始(12月29日から1月3日まで)※なお設備保守点検等のため臨時に休館することがあります。
約50,000平方メートルの芝生広場、ふれあいパークがある。
金井烏洲は江戸後期の南画家である。渋川市雙林寺の大襖絵や前橋市龍海院の大維摩像などを描いた。墓地には烏洲をはじめ、父の万古(俳人)、兄の莎邨(詩人)、弟の研香(南画家)ら一族の墓がある。
蘭方医の村上随憲(1978〜1865)は、埼玉県熊谷市に生まれた。長崎でシーボルトについて西洋医学を学び、文政7(1824)年に境町で開業した。同年には上州初の種痘を行なっている。また、私塾を開き多くの子弟を育てた。
営業:8:30〜17:0012:00〜13:00は休憩。11/1〜1/31は8:30〜16:30 定休日:12月29日〜1月3日その他、増水や強風等により運航が危険な場合は運休となります。<b
200年前から続く渡し船。今年4月県道から市道へと変更になったが、ほぼ毎日運航。毎年5月中旬頃渡船フェスタが開催され、多くの人で賑わう。
国定忠治に殺された博徒の一人の墓。
100種以上の野草、70種余の野鳥の森
流水池、野外ステージ、幼児用遊具、鹿飼育