寺町
京都府宮津市
宮津城下町の歴史は、天正8年(1580)、丹後に入国した細川藤孝(幽斉)・忠興親子による宮津浜手(現鶴賀)への宮津城築城と城下の建設に始まります。しかしこの城と城下は、慶長5年(1600)の関ヶ原合戦の際、忠興の留守を守る幽斉みずからの手により焼き払われます。現在に続く城下町は、江戸時代のはじめの宮津藩主、京極高広の代に建設・整備されたものです。高広は焼け落ちた宮津城や大手川対岸の城下の再建に着手します。この高広による城と城下の普請は、元和8年(1622)から寛永13年(1636)頃のことと考えられています。金屋谷・小川地区の「寺町」も、この高広の城下町建設に合わせて整備されたもので、現在ある12の寺院のうち、ほとんどが高広の代に京極家やその一族の菩提を弔うために創建、あるいは他地域からこの地に移転されたという伝承があります。つまり宮津の寺町は400年弱の歴史がある、城下町宮津の面影を色濃く伝える場所なのです。