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不動の大井戸は、成田山新勝寺の本尊・不動明王像が現在の本堂に移る以前に遷座された米屋総本店奥の「お不動様旧跡公園」内にあります。この水は明治の末頃までお不動様に毎朝お供えされておりました。霊水として土地の人々にも愛飲されていました。当時の大井戸は埋まってしまいました。同じ水脈より湧出する清水を枯らすことなく故事に基づき「不動の大井戸」と称して今日に伝えられています。
宗吾旧宅の北西,印旛沼畔にある。直訴に向かう宗吾のため禁制を破って舟を出し,自ら沼に身を投じた渡し守甚兵衛の悲話が伝わる。現在渡しは甚兵衛大橋や印旛沼開拓により消えてしまったが,当時を偲ぶ松林が現存しており名勝地として訪れる人が多い。
かって花の牧場として親しまれた「宮内庁下総御料牧場」の1マイル牧場跡地につくられた公園で、園内には明治天皇が馬を見る際に上られたという「馬見場」が現在も残されています。また、春には往時を偲ばせる桜が咲き揃い、絶好のお花見スポットとして賑わっています。
花と馬の牧場として多くの人に親しまれてきた「宮内庁下総御料牧場」が、成田空港の建設に伴い栃木県に移転。三里塚記念公園内には、およそ100年にもおよぶ我が国の畜産振興の輝かしい実績と幾多の記録を残すために建てられた「御料牧場記念館」があります。また、広い敷地には美しいマロニエの並木道が続き、三里塚にゆかりの水野葉舟、高村光太郎の文学碑などもあり、市民の憩いの場となっています。春には桜が咲き揃い、お花見スポットとしても賑わいます。
大栄地区南部の畑地帯にあり、東西に長い公園でほぼ中央に池が広がっています。池で釣りをしたり、周囲を散策したり、遊具で遊んだりと様々な楽しみ方が出来ます。
成田市さくらの山は、成田空港に隣接する駒井野地先の小高い丘に位置し、さくらの木の下で航空機の離発着の素晴らしい眺めが望めます。最近では、テレビ等の撮影などで使われるなど成田の新たな観光スポットとなっています。また、ちば眺望100景にも選ればれています。
本公園は、成田市の北西の市街化調整区域に位置し、JR成田駅下総松崎駅から北へ約1kmの地点にあり、主要地方道成田安食線と成田安食バイパスに挟まれています。本公園は、平成元年度のふるさと創生事業をきっかけとして、約5haの水面を有する坂田ヶ池を取り囲み、豊かな自然と水に親しめる市民の憩いの場として整備した総合公園で、北側に隣接する体験博物館「千葉県立房総のむら」と一体でご利用いただけます。
成田山公園は昭和3年(1928年)に完成し新勝寺大本堂の裏の丘陵地を利用した16万5000平方mの大庭園で、成田山書道美術館が併設されています。園内に植えられた約350本の桜は、開花時期になると公園の池にその美しい姿を映し出します。訪れる花見客を喜ばせてくれます。そのほかにも、紅梅や白梅が約460本、ツツジ、サツキ、モミジなども多数植えられ四季折々の花を楽しめます。毎年梅まつりが開かれ、日曜日・祝日には邦楽の演奏、お茶会や甘酒の接待があります。
麻賀多神社は、成田市台方1番地に鎮座し、麻賀多神社18社の惣社といわれています。祭神は、稚産霊神を祀っています。五穀の神様で産業を司る神として知られ、神社の社紋が麻の葉であることから安産や子供の守り神でもあります。本堂の奥にある大杉は、御神木として樹齢1,300年あまり。東日本一の大杉として、古来より御神木には神霊が宿るといわれ、延命・長寿の授かることでも有名です。昭和10年(1935年)に千葉県の記念樹第1号に指定されました。
新勝寺は成田のお不動様として親しまれ、歌舞伎の成田屋・市川團十郎丈、海老蔵丈など多くの人々が江戸の昔から参詣する霊場です。。寛朝大僧正が天慶3年(940年)に開山した真言宗智山派の大本山です。本尊の不動明王は、平安時代、嶬峨天皇の勅願により弘法大師が一刀三礼、敬慮な祈りを込めて彫り開眼しました。朝夕に天下泰平・五穀豊穣・万民豊楽の護摩法を修せられた霊験あらたかなご尊像です。朱雀天皇の天慶2年(939年)、平将門の乱平定の為、寛朝大僧正によって当地に還座、成田山が開山されました。