全日本の観光地へ
昭和46年6月完成,総工費128億円,塩害防止とともに,水資源の安定供給に役立っている。
大原幽学の国の重要文化財に指定された資料をはじめ,地域文化や郷土の歴史・民俗に関する資料を公開している。
平成21年4月にリニューアルオープンしたヘラブナ釣堀。湖上の桟橋からは四季を通じて釣りが楽しめる。水深は、3m〜5.6mと変化に富み、ベテランからビギナーまで幅広いニーズに対応。
像高1mの檜の寄木造りで,東栄寺の観音堂の秘仏として60年に1回,開帳されたと伝えられている。
幕末の農村指導者,大原幽学が設計し,門人により建築された住宅を兼ねた講義所である。
道の駅多古『あじさい館』は、24時間利用できる駐車場やトイレなどの休憩施設はもちろんのこと、多古米、やまといも、ぶどうなどの多古町自慢の「農産物」や「特産品」の直売コーナー、また文化、歴史、観光スポットなどの地域情報の発信基地としてさまざまな機能が備えられています。四季折々の花で彩られる栗山川のほとりにたたずむ人とモノのふれあいステーション、道の駅多古『あじさい館』に、ぜひお立ち寄りください。
南並木の道路の分岐点に、道祖神の石宮が祀られている。句碑はこれと並んでいて、天保12年(1841)に芳薫亭梅堂他13名の有志によって建てられた。この地方は芭蕉十哲の一人杉山杉風の流れを汲む俳諧が流行し、幾つかの社中が結成された時代があった。そのあらわれの一つであろう。「雲おりおり人を休る月見哉」はせ越
町内でただ一社の流星(隕石)を祭神としている社である。伝えられるところによると、ある夏の夜、村中が突然真昼のように明るくなった。翌朝、焼けた草むらの中に赤茶けた石が2つ発見され、神秘の石としてその場所に神様として祀り、それからは村に嫁いで来た人は、鎮守の次にお参りするのが慣わしだったという。法光寺の古文書には、文化9年(1812)崇石大名神を勧請と記されている。
全長82メートルの前方後円墳である。地元ではその形から杓子塚と呼んでいる。平成3年(1991)に千葉県指定史跡になった時、多古町教育委員会は次の様に記している。土師器の存在から4世紀後半、古墳時代前期の大型古墳で、東京湾岸と並んでこの地が大和政権の東国経営の拠点と常用しされてきたことを実証する資料である。そして、この地点から東北一帯は一大古墳群であったが、現在は畑地帯になっている。
墓地の道沿いに建っていて、忠魂碑と並んでいる。旧道の頃は現在地から西の坂並入口まで、1kmばかり直線の桜並木であって、この地にふさわしい句を竹兎園の流れを汲む俳人達が大正7年(1918)に建てた。しかし県道工事で桜は伐られ、碑も現在地に移された。もう一基は時代の古いもので、竹兎園風葉三世を継いだ冨澤賀佐の句と言われている。「木のもとに汁もなますも桜かな」はせお「冷え氷までもゆかしき修行かな」